2018年05月01日

ブログ企画【繋】第69回

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それは誰のもの…
私は 知らない

何処にあるのだろう…
私は 知らない

私には関係の無いものだ
私は それを知らない

誰かが 楽しげに笑っている…
でも 私には関係の無いことだ

何処へ行くというのだ
誰が待つというのだ

遠い昔の記憶…
遥か遠い昔話…

何処へも行けない
ここから動けない

知らない…知らない…私は知らない…
私はもう 何処へも行けない

私がそれを望んだのだ
何を悲しむことがあろう

悲しくは無い
虚しくも無い

今更 何を望むのだ
何を期待しているのだ

吹き荒ぶ荒野に一人立ち
虚空に吠える獣のように
誇り高くあれ! 気高くあれ!
私は私だ!
この世界に ただ一人のものだ!

ダレノセイデモナイ
オマエガソレヲノゾンダノダ
ナニヲカナシムコトガアロウ…

私はそれを知らない
何処かにあるのだろう

私はそれを知らない
モウドコヘモユケナイ…



…ブログ企画【繋】第69回、
今回のテーマは 山中信人さんからのお題で「ゴールデンウイーク」でした…。

こんな仕事をやっていると、ゴールデンウイークなんて一番忙しい時で、
全然嬉しくも無い… 縁の無い話です…。
そんな心境を趣向を変えて大袈裟に綴ってみました。

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さてさて、ブログ企画【繋】は 毎月1日に、
参加メンバー全員が共通のテーマでブログを書くという企画です。
他の皆さんのブログも是非ご覧になってみてください。

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2018年04月30日

ブログ企画【繋】第68回テーマ「私の故郷(ふるさと)」〜その2〜

前回 途中で終わってしまったブログの続きです…

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可部は広島市の中心の最も栄えてる基町あたりから北へ約17Km、
バスで1時間近くかかるところ 盆地の中にある寂れた街である。
周囲を全て山に囲まれた土地で、街の中心を太田川という大きな河が流れている。
自然豊かな土地であり農業・林業が盛んであった。
私が住んでいた家の周りも 大きな水田が階段のように並び広がっており
子供達は毎日 田んぼの傍のあぜ道を通り小学校に通ったものだ。
小学校の裏からは福王寺山という大きな山へ続く道に繋がっていた。
一度 山から下りてきた野生の鹿が校舎の裏で跳ね回っていた事があったが、
さすがにその時は皆 驚いたものである。

そんな田舎町の可部も、私達一家が住み始めた頃には新興住宅地として開発が進み、山を切り崩して団地を作り 田畑を潰して住宅を建てたりと、人口が急速に増加していった頃であった。
小学校では一つのクラスに50〜60人近い生徒…ピーク時には一学年最大8クラスにまで膨れ上がり 全生徒数2000人を超えるマンモス学校になってしまい、教室が足りなくなって学校の隣の農地を借りてプレハブで教室を作り とりあえず急場を凌ぐという状況であった。
あまりのバタバタ状況が社会問題となり、私が3年生の時にテレビ局の取材が来て「教室が足りない!」という20分くらいのドキュメンタリー番組が作られ放送された。
詳細はわからないが、あれはNHK広島あたりの製作だったのだろうか?
今と違って家庭に録画出来るビデオなど無い時代…、
何処かに映像が残っていないだろうか…もしあれば 是非とも観てみたい。
朧げな記憶ながら、当時の先生や生徒達へのインタビューと授業風景、校舎やグラウンド…周囲の街々の懐かしい光景がいろいろ撮られていた筈だ。
結局 私が4年生になる時、団地側の方に新しく小学校が出来て 学校は分裂、生徒数も半分くらいになり かなり落ち着いた。
その反面 それまで仲の良かった友達も新しい小学校へと移ってしまい 淋しく思ったりしたものだった…。

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さて、田舎町とはいえ 広島という土地柄…やはり野球人気が高く、
学校から帰ると近所の広場に自然と子供達が集まって、大きな子から小さな子まで 年齢関係なく一緒になって草野球をやるのが日課だった。
田舎街だから学習塾などと云うものも無く、あったのは精々〈そろばん塾〉くらい…、ほとんどの子供はそれすら行かず、放課後は皆 広場に集まって遊んでいた。
私も皆に混じって夕方 周囲が暗くなるまで遊んだものだ。
地域毎の少年ソフトボールチームなどもあり、年に2回くらいトーナメントの大会なども開かれていた。
野球の上手い子は皆から一目置かれるヒーローであり、昭和50年の広島カープ初優勝をピークに大いに盛り上がったものだった。

野球を始め、地域の子供会の行事もいろいろ盛んであった。
正月の〈どんど焼き〉、二月の節分の豆まき大会、
夏休みには子供会主催の一泊二日のキャンプに行ったり、
秋の神社のお祭りでは子供神輿などが繰り出され 皆で担いだりしたものだ。
記憶も朧げだが、東北あたりのナマハゲにも似たような、般若の面を被った人達が子供らを追いかけて叩き回る 恐い祭りもあった様な気がする…?
クリスマスにも何かやっていたような気がするが、ちょっと記憶が不確かだ…。

私が住んでいた家の近所には商店街すら無く ましてやスーパーマーケットなども無い…
バスで15分くらいかけて可部駅前の商店街まで行かなければ そういったお店は存在しなかった。
母が日常の食料品の買い出しなどに週二回くらいバスに乗って出かけて行くのに よく一緒に付いて行っていた。
現在のようにコンビニエンスストアすら無い時代、けっこう大変だったのではと 今更ながらに思うのである。

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自然豊かな土地であるという以外 これといった特色の無い街ではあったが
私にはとても思い出深い街である。
四季折々の様々な風景は 今でも懐かしく思い出される。

春…田んぼ一面に咲いたれんげの花がとてもキレイだった。
桜の花は校庭以外ではあまり見た記憶が無いが、河原で母と二人 ツクシを採ったりもしたものだ。
梅雨時から夏にかけては毎晩 カエルの大合唱を聴きながら眠っていた。
盆地特有の内陸性気候の為、夏はとにかく蒸し暑い。
茹だるような暑さと強い日差し、陽炎揺れるグラウンドと山の緑の向こう
青い空にクッキリと白く浮かんだ大きな入道雲を思い出す。
夏休みは 朝早く起きて雑木林にカブトムシを採りにいった。
(その頃の私はカブトムシを始め、クワガタ、スズムシ、イシガメ、果ては庭でカマキリまで飼っていた。)
たまに自転車で遠出をして河で魚を獲ったりもした。
河原から眺めた夕焼けの美しさは今でも鮮明に覚えている。
夕方には皆で広場に集まって 花火をやって遊んだ。
家の裏を流れる小さな川にはホタルもまだ普通にいたし、
夜になれば空に満点の星々を観ることが出来た。
秋…学校へ向かう畔道沿いに咲くヒガンバナがとてもキレイだった。
夕暮れ時には田んぼの上を 赤トンボがたくさん飛んでいた。
毎年秋 近くの神社で行われるお祭りは 子供達の大きな楽しみであった。
何しろ商店街すら無いような田舎町、神社の参道沿いに並ぶ沢山の屋台、
たこ焼き、お好み焼き、リンゴ飴、チョコバナナ、綿菓子…
それから 如何にも子供の好きそうな景品を並べた射的やクジ引き 金魚すくい…
その日だけ特別に貰った僅かな小遣いを握りしめ、どれにしようかとあれこれ悩みながら散策するあのワクワク感…
本当 子供にとっては正しく年に一度のお祭りであった。
冬になればけっこう雪も降る。膝近くまで積もる事はざらにあった。
学校へ通う道も雪に覆われ、掻き分けながら歩いたものだ。
グラウンドも一面の雪、元気の良い子は外に出て雪合戦をしたり雪ダルマを作ったりしていたが、寒がりの私は教室にこもって黙々と漫画など描いたりしていた。
当時の教室は今のようなエアコンの冷暖房完備など無い。
夏は扇風機、冬は大きなダルマストーブで凌ぐのが当たり前であった。
水道からも水しか出ないので、指が痛いくらいの氷水で手を洗ったことを思い出す。

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その頃は当たり前過ぎて気付かなかったが、今から思えば何て素晴らしい環境で育っていたのだろうか…。
こうやっていろいろ思い出して書いていると何もかもが懐かしくて涙が出そうになる。
多分 私が歳をとってしまったからだろう…妙に里心が付いてしまったようだ。

4年前の冬、33年ぶりに可部の街を訪ねてみた。
すっかり変わってしまった可部駅前の商店街を記憶を辿りながら歩いた後
バスに乗って移動し昔住んでいた家の辺りを散策…
最後に小学校と中学校へ通った道を 一人感慨に耽りながら辿り歩いてみた。
夜 何人かの友人達が集まってくれ 皆で酒を呑み、とても楽しいひと時を過ごした。
その時に強く思ったのだ…私の故郷はやはり可部の街であると。
根無し草のようにあちこちを転々とし 帰る実家すら無い人生であった。
ずっとこの街で暮らし 大人になった友人達を羨ましくも思った。
多分 住んでいる側からすれば いろいろ思うところもあるのだろうが、
永くその土地に根を下ろし生活して来た者だけが持つ何かが確かにあるのだ。
「生きるということは故郷を探す旅である。」
誰が言ったのか覚えていないが、昔そんな言葉を聞いた事がある。
人は皆、心の拠り所としての故郷を探しているのだろう。
もし 人が人生を終えた後に、魂が帰って行く場所というものがあるとすれば、
おそらく その場所こそが(たとえ生まれた土地では無くても…)その人にとって本当の故郷なのだろう…
そんな風に考える 今日この頃である。

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さてさて、2回に分けてまとまらない思い出話を長々と書いてしまった。
本来なら一度にまとめてスッキリと書き上げなければいけないのだが、
多忙と遅筆と凝り性ゆえ…御容赦願いたい。
最後に、4年前に可部を訪れた後に書き上げた曲があるので、
歌詞だけになるが読んでいただければ幸いである。

「旅路」 作詞作曲/ありのぶやすし

まるで 何処か遠い国の
知らない街で迷ったような
何も頼るものも無くて 一人惑う夕暮れ
それは とても遠い昔
幼い頃に母の背中
探し回り 歩き疲れて 泣いて帰った道のり
ああ 人は なぜ いつも 旅人に憧れる
帰るべき故郷を 胸に抱いて眠る
空を渡る鳥の群れよ
風に吹かれ 流れる雲よ
知っているか 何処かにあるという
僕の帰る 故郷

昨日と同じ今日があれば
今日と同じ明日を願う
夢と呼べるものはなくても きっと生きてゆける
疲れを癒す部屋があって
柔らかな灯りと 暖かな食事
そばに愛する者が居るなら 何を望むだろうか
ああ 人は誰も皆 旅人であると言う
帰るべき故郷を 探し求め歩く
やがて いつか 命尽きて
土に還る時が来ても
風に舞って流れ着くだろう
それは 僕の故郷
きっと 僕の故郷

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posted by ありのぶやすし at 04:18| Comment(0) | ブログ企画「繋」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月01日

ブログ企画【繋】第68回テーマ「私の故郷(ふるさと)」

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毎度の事だが、早いもので 今日から4月、
新しい年度の始まりである。
毎月1日恒例のブログ企画【繋】
今回のテーマ担当は私ということで、
何が良いかと あれこれ考えていたのだが
悩んだ末「私の故郷(ふるさと)」というお題を選ばせてもらった。

さて、そもそも なぜ このようなお題を選んでしまったのかというと
近頃どうにも 歳のせいなのか、故郷というものに想いを馳せる事が多く少々センチメンタルな気分に浸っているのがひとつ…
それとは別に、私にとっての故郷(ふるさと)とは いったい何処なのか?
自分でも ハッキリわからないと云う悩みを常々感じている事も理由のひとつである。

まず 故郷(ふるさと)とは、一般的には どの様に捉えられているものであろうか…? いつもの慣例に従って辞典で調べてみるとする。

こ-きょう【故郷/古郷】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
生まれ育った土地。ふるさと。郷里。「…へ帰る」「第二の…」「生まれ…」

ふる‐さと【古里/▽故里/▽故▽郷】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
1 自分の生まれ育った土地。故郷 (こきょう) 。郷里。「…に帰る」
2 荒れ果てた古い土地。特に、都などがあったが今は衰えている土地。
「君により言の繁きを…の明日香 (あすか) の川にみそぎしに行く」〈万・六二六〉
3 以前住んでいた、また、前に行ったことのある土地。
「ひとはいさ心もしらず…は花ぞ昔の香に匂ひける」〈古今・春上〉
4 宮仕え先や旅先に対して、自分の家。自宅。
「見どころもなき…の木立を見るにも」〈紫式部日記〉

「故郷」と書いて〈こきょう〉とも〈ふるさと〉とも読めるのだが、
〈こきょう〉の場合、生まれ育った土地という意味に限定的なのに対し
〈ふるさと〉の場合は、その捉え方が結構幅広くなるようだ。

今回のお題では「故郷」と書き あえて(ふるさと)と読み仮名をふっておいたのだが、
仮に 故郷を生まれ育った土地とする場合、
私自身は《ここが私の故郷である》という場所を明確に定められない…という状況に陥ってしまうのだ。
「出身はどちらですか?」などと聞かれ すぐに答えられる人は良い。
しかし私のように、幼い頃から引っ越しばかりで定まった拠点を持たず
あちこちを転々としてきた人間にとっては、何処が故郷という概念は単純には決めかねるものなのである。

まず私の生まれは岡山県である。
私が産まれた当時、 家族は倉敷市で暮らしていたのだが、
私の父は銀行員という仕事柄 だいたい2年周期で転勤をせねばならず、
倉敷で暮らしていたのは1歳くらいまで、その後 岡山市に引越し、
そこで2年程度暮らした後 今度は広島県の福山市松永町へ…
それから後も ⇨広島市矢賀町⇨広島市可部町へと転居を繰り返し
小学2年生になるまでの間に 私は4回の引越し 計5ヶ所での生活を経験して育った。

その為だろう…私には幼少期の友達の記憶が殆ど無い。
何人か仲の良い遊び友達はいたのだろうが、短い周期で引っ越してしまう為 結局 疎遠になってしまう。
もう少し大きければ自分で手紙を書いたりとかして 交友を保っていたのかもしれないが、
年端もいかない幼児であるから 結局 離れてしまえば縁遠くなってしまうものなのだ。
しかし小学校低学年ともなれば、幼いながらもある程度自我も芽生え外界との接触も増えてくる頃…
私はこの可部町での生活において、初めて本当に仲の良い友人達と巡り会う事が出来た。
その後もやはり 父は2年後に別の勤務先に転勤する事になるのだが、
可部での暮らしに馴染んでしまった私が引越しを嫌がった為に
父は転居を断念、住居は可部で保ったまま 遠距離への通勤をするようになった。
それから先も長い年月、父は転勤を繰り返しながらも引っ越しはしないようにしてくれた。
おかげで私は高校1年生の終わりまでの約9年間、この自然豊かな可部町での生活を満喫することが出来たのだ。

しかし 私が高校1年生の年の冬に、ついに父は広島を離れ東京に転勤することになってしまう。
以前に第63 回【繋】ブログ「 節目」
http://aripanda1964.seesaa.net/article/454596038.html の中でも触れているのだが
私は兄と二人で広島に残り 現在の高校に通い続けるか、
編入試験を受けて東京の高校に転校するか どちらかを選択する事となる。
私は東京に行くこと選び、高校2年生の4月から 東京は世田谷区烏山での暮らしが始まる。
それから暫くは その烏山での生活が続いたのだが、
しかし長年の 無理が祟ったのか、私が二十歳の時の9月に父は52歳の若さで急死してしまう。
それから後 私は母と二人で豊島区椎名町に転居、
やがて大学を卒業した後 早々に結婚してしまった私は 東久留米市に転居、
その後 埼玉県鴻巣市へ、約10年後の離婚を経た末 東京ひばりヶ丘へ転居、
リストラ後に現在のお店に戻ってからは江古田に引っ越し、
数年後現在の奥さんに拾われ 小竹向原に転居、その後 桜台に転居し現在に至る。
さて長々と引っ越し遍歴を語ってしまったが、
要するに私は ボヘミアンの如く定住する場を持たず転々としてきた 言わば《流浪の民》だったのだ。

故郷(ふるさと)を生まれた場所だとするならば、私の故郷は岡山県倉敷市という事になるのだろうが、
残念ながら倉敷で暮らしていた記憶はほぼ皆無に等しい…その次の転居先 岡山市も同様である。
私の両親の実家は二人とも岡山県の玉野市というところで、子供の頃は夏に何度か家族で里帰りをしたものだ。
この玉野市の祖父母の家に遊びに行った頃の記憶は 懐かしく郷愁を誘いはするが、やはり「岡山が私の故郷…」とは言い難い。

では 広島の場合はどうだろう?
まだ幼い頃に 短期間暮らしただけの松永や矢賀は 正直 印象も薄く、とても故郷とは言い難い。
しかし その後に暮らした可部の印象は 他の地とは明らかに異なる。
7歳の冬から17歳の春までの約9年間という
もっとも多感な時季を過ごしたこの街は 私の人格形成に大きな影響を及ぼしており、その意味において正しく《心の故郷》と呼んでいい。
住んだ場所としては5箇所目である。“生まれ育った”街では無い。
しかし 故郷という言葉を聞いた時、心に浮かぶのは やはりあの可部の街の風景なのだ。

さて、いよいよ《心の故郷 可部》について語る…と行きたいところだが、
長々と引っ越し遍歴を語っただけで随分と時間を喰ってしまった。
言い訳になるが、このところ仕事もかなり忙しく 少々体調を崩してしまい ブログを書く時間も取れなかったのだ。
自分でお題を出しておきながら誠に心苦しいのだが、締め切りも迫っているので 一旦ここで終わりとして、続きは近日中にUPさせていただく…ということで御容赦願いたい。

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