2018年01月01日

ブログ企画【繋】第65回テーマ「平成30年」

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毎度の事だが、早いもので 今日から1月、
新しい年の始まりである。

毎月1日恒例のブログ企画【繋】
今月のテーマは 昨年8月からこのブログ企画に参加された〈こいぬまめぐみ〉さんからのお題で
「平成30年」とのことである。

《今年も残すところ半月、気づけば来年は平成の世も30年の節目を迎えます。
皆さまにとって、平成はどんな時代でしたか。
それぞれの30年間を振り返って、
平成元年(1989)の年は、何をされていましたか。
印象的な思い出は何ですか。
何にハマっていましたか。
どんな出会いや別れがありましたか。
感謝の気持ちを伝えたい人は誰ですか。
そして、平成30年(2018)をどのような年にしたいですか。
これらの質問に沿って考えていただいても、ご自身で自由に書いていただいても構いません。
ブログ企画【繋】第65回のテーマは「平成30年」でお願いいたします。》
…以上、お題主からのお言葉である。

さてさて、長かった平成も今年で終わりとのこと…
この30年間は 私にとって激動の30年であった。
平成元年の1989年…私は前年の1988年3月に大学を卒業、
4月から大塚の製版会社に就職し
11月に学生時代から付き合っていた女性と結婚。
つまり 平成元年は もろ新婚状態で社会人2年目を迎えた年なのである。

試しに平成元年(1989)は どんな年であったか調べてみた。
最近は本当に便利なもので、ネットで〈平成元年 出来事〉で検索すれば、とても詳しく書かれた情報を簡単に閲覧することが出来る。
これなども ある意味、30年間の時の流れの成せる技であろう。

まず年明け早々の1月7日に昭和天皇が崩御、
1989年は 1/1〜1/7の一週間は昭和64年、1/8からは平成元年として二つの元号を跨いだ年である。
このブログの参加メンバーの皆様も天皇崩御当日の午後、
当時の小渕官房長官が「平成」と書かれた紙を掲げての新元号発表の瞬間を鮮明に記憶されていることだろう。
(体験してないのは 恐らくお題主の こいぬまさん だけか…?)

とにかく そんなわけで、1989年の日本は慌ただしく始まった。
天皇崩御からの数日、テレビは予定していた全番組を休止して追悼特別番組に差し替え、
それから暫くの間 テレビ・マスコミ始め 世の中は軒並み自粛モード、
お笑い番組など当然自粛、CMまでも自粛モード…。
ライブコンサートもスポーツも、華やかなこと、楽しいことはとにかく何でも自粛…という凄い状況であった。

その後 新しい元号にもようやく馴染み始めた頃、
2月には漫画の神様 手塚治虫が、6月には歌謡界の女王 美空ひばりが相次いで亡くなる。
昭和という時代を語る上で欠かせない二人の死は、
昭和という時代の終焉を否応が無しに思い知らさせるものであった。

政界的に大きな出来事としては、前年から捜査が続いていたリクルート事件において政界・財界から大量の逮捕者が続出する。
影響を受けて6月に自民党の竹下登首相が辞任。
後を引き継いだ宇野宗佑首相も7月の参議院選挙での自民党の歴史的大敗の責任を取ってわずか2ヶ月で辞任、
海部俊樹氏が首相となる。
そして 参議院選挙での大勝で参議院第一党となった社会党党首の土井たか子が一躍 時の人となり〈おたかさんブーム〉が巻き起こる。
平成元年は政治的にも大混乱の年であった。

それでも、世の中的にはバブル真っ只中、
土地の価格はどんどん上昇、株価は軒並み右肩上がり
以下、世の中の経済面での主な出来事を幾つか抜き出してみた。

3月、福岡にて〈アジア太平洋博覧会〉開催、開幕と同時に福岡タワーが公開開始される。
4月1日より消費税が施行される。(税率は3%)
同月、横浜アリーナ開業…。
(そういえば、川崎市高津区の竹やぶで総額2億3500万円の現金の入った二つのバックが拾われた 通称〈竹やぶ騒動〉もこの頃の出来事であった。)
8月、三井銀行が太陽神戸銀行と対等合併を発表。
9月、横浜ベイブリッジが開通、
同月、ソニーがアメリカのコロンビア映画を買収。
10月にはアサヒビール本社ビルが東京吾妻橋に竣工 (通称ウンコタワー)
同月、幕張メッセが開館。
11月、三菱地所がアメリカのロックフェラー・センターを買収。
12月末、日経平均株価が市場最高値となる38,957円44銭(同日終値38,915円87銭)を記録、これをピークに翌年からバブル景気の崩壊が始まる。

日本企業が世界を席巻し、ジャパン・マネーなどと呼ばれ恐れられた。
ちなみに当時の私は 製版会社に就職して二年目を迎えて 忙しい毎日を過ごしていたが、残念ながら あまりバブルの恩恵に預かった記憶は無い。
毎日の残業は当たり前であったが、だいたい午後8時〜9時くらいには会社を出ており、後に転職した会社での悲惨な勤務状況に比べれば かなり余裕があった。

一方 世間では、目を覆いたくなるような凄惨な事件も多かった。
3月、足立区 女子高生コンクリート詰め殺人事件。
  (事件は前年12月〜1月にかけて発生、発覚は3月)
8月、東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件で犯人の宮ア勤が逮捕される。
  (事件は1988年8月〜1989年6月にかけて発生、逮捕は8月)
11月、オウム真理教による坂本弁護士一家殺人事件。
  (事件は11月、オウム真理教による犯行と断定されるのは ずっと後、地下鉄サリン事件を経ての1995年である。)
…等々、いくつもの悲惨な事件の報道を前に
当時の私は、もし自分の家族がこんな事件に巻き込まれたら 必ず犯人を殺してやる…などと真剣に思っていたものだった。

その他 世間の注目を集めた事件としては 先の〈竹やぶ騒動〉以外に
4月、朝日新聞記者が 沖縄のサンゴ礁に自ら傷を付け記事を捏造した、通称〈朝日新聞珊瑚記事捏造事件〉
7月、歌手の中森明菜が交際相手の近藤真彦の自宅にて 手首を切り自殺未遂。
同月、北海道大雪山での〈SOS遭難事件〉…なども記憶に残るところである。

しかし一方では 8月に礼宮文仁親王(現 秋篠宮文仁親王)と川嶋紀子さん(現 文仁親王妃紀子)の婚約内定が報道されたり、
9月には 横綱 千代の富士に国民栄誉賞が贈られるなど…
暗い事件の続く世の中に 明るい話題も幾つか届けられた。

新語・流行語大賞は「セクシャル・ハラスメント」(新語)「オバタリアン」(流行語)が受賞。
また、流行語部門銅賞でリゲインCMの「24時間タタカエマスカ」が受賞しており、当時のバブル日本を思い起こさせて懐かしい。

この年の主なヒット曲としては
プリンセス・プリンセス「Diamonds」「世界でいちばん熱い夏」
光GENJI「太陽がいっぱい」
工藤静香「恋一夜」「黄砂に吹かれて」「嵐の素顔」
長渕剛「とんぼ」
Wink「愛が止まらない」「涙をみせないで」「淋しい熱帯魚」
森高千里「17才」
爆風スランプ「Runner」「リゾ・ラバ -Resort Lovers-」
TM NETWORK「GET WILD '89」「DIVE INTO YOUR BODY」
竹内まりや「シングル・アゲイン」
BARBEE BOYS「目を閉じておいでよ」
松任谷由実「ANNIVERSARY 〜無限にCALLING YOU」
宮沢りえ「ドリームラッシュ」
徳永英明「最後の言い訳」
小泉今日子「学園天国」
斉藤由貴「夢の中へ」
浜田麻里「Return to Myself 〜しない、しない、ナツ。」
南野陽子「涙はどこへいったの」
COMPLEX「BE MY BABY」
ZIGGY「GLORIA」
ザ・タイマーズ「デイ・ドリーム・ビリーバー」
ユニコーン「大迷惑」
永井真理子「ミラクル・ガール」
矢沢永吉「SOMEBODY'S NIGHT」
井上陽水「リバーサイドホテル」「最後のニュース」
牛若丸三郎太「勇気のしるし〜リゲインのテーマ〜」
美空ひばり「川の流れのように」等々…。

この年の日本レコード大賞はwinkが「淋しい熱帯魚」で受賞、
美空ひばりには特別栄誉歌手賞が贈られた。

また、DREAMS COME TRUE、リンドバーグ、X(X-Japan)、THE BOOM、フリッパーズ・ギター等がメジャーデビュー、
一方 オフコース、C-C-Bといったバンドがこの年に解散している。

ちなみに私は 当時の製版会社での勤務時代に、Xのインディーズ時代のアルバムのライナー(歌詞カード)の製版を担当している。
あの時の製版に使ったフィルムを持ち出していれば ちょっとしたプレミア物のお宝となったであろう。
全く惜しいことをしたものだ。

話題になった映画としては
〈邦画〉
「もっともあぶない刑事」
「黒い雨」
「彼女が水着にきがえたら」
「魔女の宅急便」
「その男、凶暴につき」
「ゴジラvsビオランテ」
〈洋画〉
「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」
「ダイ・ハード」
「レインマン」
「ニュー・シネマ・パラダイス」
「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」
「ブラック・レイン」
「リーサル・ウェポン2/炎の約束」
「バットマン」
「恋人たちの予感」
「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」
「セックスと嘘とビデオテープ」…等々。

テレビドラマ・番組
『春日局』
『君の瞳に恋してる!』
『教師びんびん物語2』
『同・級・生』
『愛しあってるかい!』
『あなたが欲しい』
『ハートに火をつけて!』
『この胸のときめきを』
『過ぎし日のセレナーデ』
『ハロー!グッバイ』
『勝手にしやがれヘイ!ブラザー』
『池中玄太80キロIII』
『ツヨシしっかりしなさい』
『はいすくーる落書』
『ママハハ・ブギ』

『所さんの目がテン!』
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』
『知ってるつもり?!』
『ギミア・ぶれいく』
『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』
『どーする!?TVタックル』
『三宅裕司のいかすバンド天国』

また一方、
『ザ・ベストテン』
『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』
『オレたちひょうきん族』…などの昭和を代表する歴史的番組がこの平成元年に終わりを迎えているのも何か象徴的である。

出版界での主なベストセラーとしては
吉本ばなな『TUGUMI』
井上靖『孔子』
村上春樹『ノルウェイの森』
盛田昭夫・石原慎太郎『「NO」と言える日本』
藤村由加『人麻呂の暗号』等がこの年である。
(作家の吉本ばなな氏は 私と同じ日本大学芸術学部の文芸学科を1987年3月に卒業、学年としては一年上の先輩である。同じ時期に日芸キャンパスや江古田の街で何度かすれ違っていたのかもしれないと想うと 妙に感慨深いものである。)

訃報としては 先の手塚治虫、美空ひばりの他に
1月、作曲家の芥川也寸志
4月、実業家の松下幸之助 (松下電器創業者)
10月、女優の浦辺粂子
11月、俳優の松田優作
12月、漫画家の田河水泡(のらくろ作者)
…といった方々も この年に亡くなっている。

さてさて、調子に乗ってネットの記事をあれこれまとめているだけで 随分と時間が掛かってしまった。
学生の下手なレポートではあるまいし、これではブログとしては片手落ちもいいところである。
しかしながら、私にとって この平成元年という年は
いろいろな意味において非常に思い出深い年なのである。
まだまだ新婚当初、希望に満ちた時代であった。
こうやって、あれこれと調べていると 様々な事を思い出す。
あれから30年も経ってしまったと思うと、
とても遠い昔のような、逆についこの間の事のような…不思議な感覚に囚われるのである。

希望に満ちた新婚時代からの約10年間、
そして離婚とリストラの後に 現在のライブハウスに舞い戻り
雇われながらも店長として、同時にシンガーソングライターとして
怒涛のように一人生きてきた約10年間…。
そして現在の奥さんに拾われ、再婚してからの約10年間…。
私の平成の30年間は大きく三つの時期に分かれるようだ。

とりあえず、この平成元年頃から現在に至るまでの経緯は
昨年11月の【繋】ブログ第63回 《テーマ「節目」〜その2〜 》…と内容的にかなり被ってしまうので こちらも参照して頂きたい。
http://aripanda1964.seesaa.net/article/455208030.html

今回のブログを書くにあたり、簡単な自分史を表にして書き記してみたのだが、
様々な細かい事を数多く忘れてしまっており 正直かなり焦っている。
会社を変わった時期なども相当 曖昧である。
日記でも付けておけば良かったのだが、書類関係や様々な物を引っ越しの際にかなり処分してしまったので、気合を入れて調べなければ正確なところがわからなくなっているような状況だ。

私も今年の4月で54歳となる。
既に父の死んだ年齢52歳を2年も超えてしまった。
ちなみに美空ひばりが亡くなった年齢も52歳である。
とても信じられない。正直 美空ひばりが亡くなったのは60代半ばくらいだろうと ずっと思っていた。
あの時代を生きて来た人達は、私などに比べれば遥かに大人であった。
私など 未だに、30代の頃の父親の足元にも及びもしない…。

さて、まとまらない話しをウダウダと書き続けてしまった。
何はともあれ 今日から新しい年の始まりである。
良い一年になるように 精一杯頑張ってゆきたいと思う。

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さてさて、ブログ企画【繋】は 毎月1日に、
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2017年12月01日

ブログ企画【繋】第64回テーマ「クリスマス」

毎度の事だが、早いもので 今日から12月、

毎月1日恒例のブログ企画【繋】
今月のテーマは広島在住のモリミカさんからのお題で
「クリスマス」とのことである。

このブログ企画も 長いもので 足掛け6年目となる。
既に一度くらいは「クリスマス」をテーマに書いていたと思っていたが、調べてみると実際 今回が始めてであった。

さてさて「クリスマス」…テーマとしては案外 難しいぞ。
あまりに様々な側面があり過ぎて、何かポイントを絞らないと上手くまとめられそうもないのだが…
しかし 今回はあえてテーマを決めず、「クリスマス」という言葉から思い浮かぶいろいろな事を ダラダラとエッセイ風に綴ってみることにした。

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さて、11月も半ばを過ぎれば、街は徐々にクリスマス色を増してゆく。
うちのお店も先週くらいからクリスマス装飾に模様替え、
毎年 飾り付けをしながら、いい歳をしてけっこうワクワクしてしまう。
こう見えて昔から、クリスマスのキラキラした飾り付けやイルミネーションとかが大好きな性質なのである。

江古田から桜台の自宅に帰る途中に、毎年 物凄い規模のイルミネーションを飾ることで近所でも有名な家があるのだが、
帰りにこれを観るのが毎年の楽しみとなっている。
それはもう物凄いレベルの装飾で、この一角だけが、住宅街の中で突然ディズニーランドのようになっている。
いったい幾ら掛かってるんだろうと つい下世話な心配をしてしまうのだが、この家の飾り付けが始まる頃になると「今年ももうすぐ終わりだな…」と感慨深く思ったりする。

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実は自宅にも、昔から大事に残してある60pくらいの高さのクリスマスツリーがあって、本当は毎年飾っておきたいと思っているのだが、
部屋の中が本とかCDとか あまりに荷物が多すぎる為 もう何年も出さず仕舞いとなっている。
今年は頑張ってスペースを作り、何とか飾ってみたいと思う今日この頃である。

さて、クリスマスと言えば チキンやケーキと、食の面でもなかなかに楽しみである。
お店の近くに 打ち上げ等で行き付けの居酒屋があるのだが、ここが毎年 名物の鳥唐揚げを山盛り詰めた クリスマス限定お持ち帰りパックをやっている。
ここの唐揚げはとにかく絶品で、鳥唐が大好きな私は これを予約するのが毎年のクリスマスの楽しみとなっている。
そしてクリスマスイブ翌日の25日は前日に売れ残ったクリスマスケーキが半額になるのを探し 買って帰るのが恒例となっている。
以前 お弁当をテーマにした時にも書いたのだが、「半額」という言葉に異常に燃えてしまうのである。
根っからの貧乏性なのであろう…定価でひとつ買うより 半額にでふたつ買いたい! ついそう考えてしまう。
実際は 半額になるタイミングが難しく 何カ所も廻ったりとなかなか苦労するのだが、これはこれで 毎年けっこう楽しんでやっていたりする。

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仕事柄 なかなかクリスマスの日が休みという事は無い。
家でも特に クリスマスだからと何かイベントをやるわけでもない。
子供でもいれば また違ってくるのだろうが、もう何年もクリスマスパーティー的なものとは無縁な生活をしている。
ずっと昔、子供の頃に感じていた あのワクワク感や期待感が懐かしく思える。
しかし 思い返してみれば、いったい幾つくらいまでサンタクロースを信じていたのだろう?
少なくとも物心が付いた頃には、もうサンタクロースなどという非現実的な存在が実在する訳が無いと理解していた。
だいたい世界中の子供達に一晩でプレゼントを配り歩く(しかも無償で…)など、どう考えてもあり得ない。
うちの親も あまり子供に夢物語を聴かせるタイプでは無かったので、
かなり早い時期からクリスマスプレゼントは親が買ってくるものだとわかっていた。
何だかロマンの無い話であるが、それはそれ…やはり子供にとっては年に一度 大手を振ってプレゼントを買ってもらえ ケーキを食べられる特別な日であった。
小さなクリスマスツリーに飾り付けをして飾るのも楽しみだった。
部屋を暗くして、赤や黄色の豆電球が点滅する様をじっと眺めているのが好きだった。
もったいなくて、25日を過ぎてもなかなか片付けないで、大晦日くらいまで出しっぱなしにしてたりした…。
この歳になって来ると、もう あの様なワクワク感が感じられないのが 何だかとても寂しく思える。

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さて、クリスマスといえば付き物なのがクリスマスソング。
古今東西 それこそ数え切れないくらいのクリスマスソングが存在しているだろう。
だいたい 一人のアーティストがいたら 最低一曲くらいはオリジナルのクリスマスソングがあるものだ。
そう考えると、世の中に何万曲のクリスマスソングがあるのだろうか…
想像すると気が遠くなりそうだ。

個人的には ベタなところではあるがジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」が好きである。
反戦への静かなメッセージが込められた名曲である。
さりげなく語りかけるようなジョンの歌声に重なる子供達のコーラス…
自分レベルの全く英語が出来ない人間でも ある程度わかるくらいの簡単な歌詞に込められた平和への祈り…
そして 音楽で世界を変えることが出来るかもしれないと信じることが出来たあの時代…。
人間も世界も そう簡単には変わらない…世界中いろいろな地域で 争いや紛争が絶えないという現実…
ジョン・レノンが夢見た世界は未だ夢物語のままである。
もしジョンが今 生きていたら、果たして彼は 何を歌うのだろうか…? 
それを聴くことも もはや叶わない夢である。

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2017年11月29日

ブログ企画【繋】第63回テーマ「節目 」〜その2〜

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さて、今月1日に 書きかけのままでブログをUPしてから かなり間が開いてしまった。
月が変わってしまう前に 残りを書いておかねば…。
前回は、大学に入った後 現在のお店でバイトを始めるところまでを書き留めたので その続きから…。

7《学校を卒業したその秋に結婚…》

さて、めでたくライブハウスでバイトを始めることとなったのだが…
まあ 何と言うか、いろいろと勉強、経験になった。
例えば、それまでは何となく ある程度 演奏がレベルアップしてゆくにつれ徐々にお客も増えてゆき、階段を登って行くようにプロへの道が開けて来るものなのかな…と思っていた。
ところが いざ現場に入ってみれば、演奏はとても上手いのに お客さんが全く来ない人の何と多いことか。
反対に 何でこのレベルでこんなにお客がいっぱい来るんだろう…と不思議に思うような日も多々あった。
今ならば、お客さんを呼べるということは やはり何がしかの魅力があるわけで、それは決して技術的な側面だけで測れるものではないとわかるのだが、当時はなかなか理解出来なかったものだ。
また、音楽をやってゆくうえでのシビアな金銭事情なども目の当たりにすることとなる。
自分はもともと プロのミュージシャンになりたいなどとは全く考えてもなかったのだが、実際に生でリアルな現実を目にすると、プロになる人というのは やはり何か自分とは違う特別な人なのだ…という思いを強くした。
何だろう…? 技術だけでは計れない、人を惹きつける人間としての魅力…そういったものを持った人でなければ どんなに演奏が上手くてもプロにはなれないんだな…と、
そんな事を何となく感じたりしていた。

さて、少し「節目」というテーマから 話が横道にそれてしまったかもしれない…。
とにかく当時の私は 父を亡くし重石が取れてしまった反動で、当初 大学に入った頃の目標であった 教職を取って 美術の先生になる…という話もすっかり忘れてしまい、授業にもろくに出ずに フォークソング倶楽部とバイトにばかり精を出すといった毎日であった。
そんな日々を過ごした後に 私は無事に大学を卒業、
そして印刷関連の製版会社に就職。その年の秋に学生時代から付き合っていた二つ年上の彼女と結婚する。
まだ就職したばかりの先も見えない状態で結婚など早すぎるのでは…との周囲の心配は当然あったが、当時の私は“愛があれば大丈夫!”と信じていた。
残念ながら 10年の時を経た後、二人は別れる事となるのだが…
私は この若き日の決断を、今でも決して後悔はしていない。

8《いろいろあって10年後に離婚、ヤケクソおこして社長にたてついた結果 リストラを喰らう…》

先にも触れたが、結婚10年目にして私は離婚を経験することとなる。
理由は様々なものがあるのだが、ここでそれを語ったところで 読んでいる人には面白くも何とも無いだろうから 省略させてもらう。
ただ 当時働いていた会社の過酷な労働環境によるすれ違いが大きな一因であったのは確かであった。
何しろ 朝7時に家を出て帰宅は午前1時、月の残業は150時間を超え、週に2回は泊まり、休日出勤も度々というメチャクチャな状態であった。
私は当時 現場のリーダーをやっていたので、かなり酷い状態でありながらも働くしかなかった。5年前に家を買ったこともあり、家庭の為、ローンの為と、いろいろ会社に不満があっても我慢して働いていた。
しかし、結果として家庭は崩壊。こうなったのも そもそも劣悪な労働環境を改善しない会社のせいだ…と開き直った私は、次第に会社…特に社長に対して何かと反抗的になって行った。
そんな中 ある日 どうにも我慢できないことがあり 社長を捕まえて
「あんたがそんなだから、誰も社員が付いて来ないんだよ!」
…と、皆の前で啖呵を切ってしまった。
それから数日後、社長室に呼び出され クビを宣告される。
もともと会社に嫌気がさしていた事もあり、その日のうちに荷物をまとめて辞めてしまった。
35歳を目前に控えた春の事であった。


9《行き場がなくなり 現在のお店に舞い戻る…》

その頃 私がやっていた仕事は、印刷関連の製版という工程の中の‘レタッチ’という職種であった。
説明が難しいのだが、かなり細かい神経を必要とする専門職で
私が大学を出て就職した頃は これを身につけておけば一生ものと言われ、腕のいい職人は結構よい給料をもらえる仕事であった。
しかし、私がリストラを喰らった1990年代末頃は この製版の世界もデジタル化が進み、それまでのルーペを覗きながら0.1ミリ単位の手作業を要求されるというアナログな仕事から ネットを使ったデータのやり取りとパソコン等を使っての作業中心へと大きく変化してゆく頃だった。
まだ手作業のアナログなレタッチでの求人もそれなりにあったのだが、
将来的な視点で考えれば 先の無い職種であった。
仮にレタッチで再就職したとしても、5年後には確実にリストラされてしまうだろう…
あと何よりも、連日 納期に追われて まともに家にも帰れないような仕事は もうやりたくなかった。
10年間、家庭の為、会社の為と 自分のやりたいことを犠牲にして働いて来た結果が 家庭崩壊とリストラであった。
これからの人生は もう自分の為だけに生きよう…そう思った。
私はいくつかの会社の面接を受けてみた。
主に接客関連の職種であったが、アルバイト程度の経験しかない畑違いの35歳の男を雇ってくれる会社など 何処にもなかった。
こうなったら いくつかバイトを掛け持ちして生きるしか無い。
一人分の生活費くらいはギリギリ稼げるだろう。
それでも 一つくらいは楽しい仕事がいいな。
そういえば、昔 ライブハウスでバイトしてた時は楽しかったな。
週に一日でもいいから また働けないかな…
そんなわけで 久しぶりに懐かしい江古田のライブハウスを訪ねた。
「すいません、今 バイト募集してませんか〜?」

実は当時 この江古田のライブハウスは 結構ヤバイ状況にあった。
中心になっていたバイトリーダーが辞めてしまい、経験の浅い自覚の無いバイトスタッフばかりになってしまい、音響面 接客面 共にかなり酷い状態が続いている状況であった。
「いいところに来てくれたね〜、実は今 現場を任せられる人を探していたところなんだよ。」
社長にも歓迎され、私は10年ぶりに めでたくライブハウスの仕事に復帰することとなった。

10《その後、江古田駅前で夜中に唄っていたところを現在の奥さんに拾われる…》

そして ライブハウスの仕事に復帰してからというもの、
それはもう一言では言えないくらいに実にいろいろな事があった。
今回のテーマとずれるので省略させてもらうが、
学生時代にバイトしていた頃とは比較にならないレベルで、様々な事を経験し考えさせられた。
バイトに復帰する頃とほぼ同じくして 自身のライブ活動も再開したのだが、何しろ10年間 全く音楽とは無縁な生活をしていた為、久しぶりの復活ライブは相当に悲惨なものであった。
技術的なものも随分と衰えていたのだが、何よりも久しぶりに人前で歌を唄うという状況に メチャクチャに緊張してしまった。
足も手も震え、声も思うように出ない…
10年ぶりのステージは、まるで初心者のように悲惨でボロボロな演奏になってしまった。
久しぶりのステージに向けて、結構自分なりに練習もしていたのだ。
それなのに この有様…、駄目だ!もっと人前で歌うことに慣れなくては…。
私はとりあえず、ステージ度胸をつけるために路上ライブをやってみることにした。
最初はまず、新宿歌舞伎町に行ってみた。惨敗であった…。
歌舞伎町は俺には合わねぇ…。
早々に見切りを付けた私は、次に池袋の地下道に行って唄ってみた…。
ここで ようやく感触を掴み、その後 約一年間 毎週火曜日の深夜の路上ライブを続けてみた。
そして2000年代となり アコギバブルが起きる。
1990年代末期から、斉藤和義・山崎まさよし…あたりの台頭で地味ながら復権の兆しがあったアコースティック音楽に ‘ゆず’の出現が一気に火をつけた。
地道な路上ライブを続けた後の‘ゆず’のサクセスストーリーは、それまで日陰者であったアコースティックミュージックを一気にメジャーなものに押し上げてしまった。
何だか 路上で歌っていれば、ひょっとして‘ゆず’みたいに自分もプロのミュージシャンになれるかもしれない…
街には そんな夢を描いた アコギ少年達が溢れ、新宿・渋谷・池袋など深夜の駅前では 連日 大勢のストリートミュージシャン達が 夢を追いかけて歌い叫ぶ…そんな姿が日常の光景となっていった。
私の私見だが、‘ゆず’の出現前までは、アコギで路上ライブをやるものなど数えるほどしか居なかった。私は毎週火曜日、深夜午前0時から朝の5時くらいまで、池袋の地下道を独占して ひとり気兼ねなく唄っていたのだが、アコギバブル以降、地下道には 連日5〜6人のアコギ少年達が溢れ、互いに蹴散らし合うかのように叫び唄う状況となってしまった。
堪り兼ねて地上に上がり駅前で唄える場所を探してみれば、ここも2m置きに唄い叫ぶ若者達が10数人…
無理だ!とても唄える環境じゃ無い…。

途方にくれていた私は ある日 地元 江古田駅南口の駅前で唄っている2人組の若者と出逢う。
話を聞いてみると、彼らも数ヶ月くらい前から始めたとのことで、
今まで特に 警察からも何も注意されたことは無いと言う。
新宿や渋谷 池袋といった大きな繁華街ならともかく、
こんな すぐ近くに民家もあるような小さな駅で路上ライブなど出来ないだろうと、始めから 江古田は視野に入れていなかった。
しかし改めて見てみると、南口は商店街も広く民家からは比較的離れており、終電が過ぎるまではそれなりに人通りもある。
これは案外いけるかも…
私は彼らがやっている週末を避けて、毎週木曜日の夜 午後10時〜午前1時の路上ライブを始めることにした。

当時はアコギバブルの真っ只中ということもあり、うちのお店も忙しく連日休みも殆ど無い状況。
それでも毎週毎週木曜日の夜、雨の日も風の日も雪の日も…休むことなく江古田駅前路上ライブを続けていった。
そんな慌ただしい日々の中で本当に様々な出来事があり、たくさんの人達との出逢いがあったのだが、それはまたいつか 時間をかけてゆっくり書いてみたいと思う。
とりあえず本題に戻るが、今から10年ちょっと前のある夜、
いつものように木曜日の夜、私は江古田駅前で唄っていた。
ちょうどNSPの「さようなら」を歌い終えたところだった。
一人の女性が私に話しかけてきた。
「何で こんなところでNSPなんか唄ってんですか〜?」
…これが私と 今の奥さんとの出逢いである。
そこから先の詳しい話は省略させてもらうが、
この出逢いをキッカケに 様々な意味で私の人生は大きく変わった。
世の中、路上ライブをやっている人間は山のようにいると思うが、
NSPを唄っていて奥さんに拾われた人間は私くらいなものだろう。
後日 NSPの中村さんとお仕事をした際に この話をしたところ たいへん喜ばれ、その日のステージトークでの話題にしてくださった。
非常にありがたいお話である。

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…さてさて、2回に渡り長々と語ってしまった。
何だか殆ど ちょっとした自分史のようになってしまったが、
それにしてもまた、私の人生 随分いろいろと節目があったものだ…。
結局は何だかんだ あれこれいろいろあって現在に至るわけである。

そういえば昔 大学に入りたての若い頃、手相研究会の人に一度だけ手相を見てもらった事がある。
「けっこう波瀾万丈な人生を送りそうですが、意思が強い方なので何とか乗り越えてゆけるでしょう。」
…そんなふうに言われた事を ふと思い出した。

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posted by ありのぶやすし at 14:43| Comment(0) | ブログ企画「繋」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする