2017年12月01日

ブログ企画【繋】第64回テーマ「クリスマス」

毎度の事だが、早いもので 今日から12月、

毎月1日恒例のブログ企画【繋】
今月のテーマは広島在住のモリミカさんからのお題で
「クリスマス」とのことである。

このブログ企画も 長いもので 足掛け6年目となる。
既に一度くらいは「クリスマス」をテーマに書いていたと思っていたが、調べてみると実際 今回が始めてであった。

さてさて「クリスマス」…テーマとしては案外 難しいぞ。
あまりに様々な側面があり過ぎて、何かポイントを絞らないと上手くまとめられそうもないのだが…
しかし 今回はあえてテーマを決めず、「クリスマス」という言葉から思い浮かぶいろいろな事を ダラダラとエッセイ風に綴ってみることにした。

P1040010.jpg

さて、11月も半ばを過ぎれば、街は徐々にクリスマス色を増してゆく。
うちのお店も先週くらいからクリスマス装飾に模様替え、
毎年 飾り付けをしながら、いい歳をしてけっこうワクワクしてしまう。
こう見えて昔から、クリスマスのキラキラした飾り付けやイルミネーションとかが大好きな性質なのである。

江古田から桜台の自宅に帰る途中に、毎年 物凄い規模のイルミネーションを飾ることで近所でも有名な家があるのだが、
帰りにこれを観るのが毎年の楽しみとなっている。
それはもう物凄いレベルの装飾で、この一角だけが、住宅街の中で突然ディズニーランドのようになっている。
いったい幾ら掛かってるんだろうと つい下世話な心配をしてしまうのだが、この家の飾り付けが始まる頃になると「今年ももうすぐ終わりだな…」と感慨深く思ったりする。

桜台クリスマス1.jpg

桜台クリスマス3.jpg

桜台クリスマス2.jpg

実は自宅にも、昔から大事に残してある60pくらいの高さのクリスマスツリーがあって、本当は毎年飾っておきたいと思っているのだが、
部屋の中が本とかCDとか あまりに荷物が多すぎる為 もう何年も出さず仕舞いとなっている。
今年は頑張ってスペースを作り、何とか飾ってみたいと思う今日この頃である。

さて、クリスマスと言えば チキンやケーキと、食の面でもなかなかに楽しみである。
お店の近くに 打ち上げ等で行き付けの居酒屋があるのだが、ここが毎年 名物の鳥唐揚げを山盛り詰めた クリスマス限定お持ち帰りパックをやっている。
ここの唐揚げはとにかく絶品で、鳥唐が大好きな私は これを予約するのが毎年のクリスマスの楽しみとなっている。
そしてクリスマスイブ翌日の25日は前日に売れ残ったクリスマスケーキが半額になるのを探し 買って帰るのが恒例となっている。
以前 お弁当をテーマにした時にも書いたのだが、「半額」という言葉に異常に燃えてしまうのである。
根っからの貧乏性なのであろう…定価でひとつ買うより 半額にでふたつ買いたい! ついそう考えてしまう。
実際は 半額になるタイミングが難しく 何カ所も廻ったりとなかなか苦労するのだが、これはこれで 毎年けっこう楽しんでやっていたりする。

軍鶏八唐揚げクリスマス.jpg

仕事柄 なかなかクリスマスの日が休みという事は無い。
家でも特に クリスマスだからと何かイベントをやるわけでもない。
子供でもいれば また違ってくるのだろうが、もう何年もクリスマスパーティー的なものとは無縁な生活をしている。
ずっと昔、子供の頃に感じていた あのワクワク感や期待感が懐かしく思える。
しかし 思い返してみれば、いったい幾つくらいまでサンタクロースを信じていたのだろう?
少なくとも物心が付いた頃には、もうサンタクロースなどという非現実的な存在が実在する訳が無いと理解していた。
だいたい世界中の子供達に一晩でプレゼントを配り歩く(しかも無償で…)など、どう考えてもあり得ない。
うちの親も あまり子供に夢物語を聴かせるタイプでは無かったので、
かなり早い時期からクリスマスプレゼントは親が買ってくるものだとわかっていた。
何だかロマンの無い話であるが、それはそれ…やはり子供にとっては年に一度 大手を振ってプレゼントを買ってもらえ ケーキを食べられる特別な日であった。
小さなクリスマスツリーに飾り付けをして飾るのも楽しみだった。
部屋を暗くして、赤や黄色の豆電球が点滅する様をじっと眺めているのが好きだった。
もったいなくて、25日を過ぎてもなかなか片付けないで、大晦日くらいまで出しっぱなしにしてたりした…。
この歳になって来ると、もう あの様なワクワク感が感じられないのが 何だかとても寂しく思える。

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さて、クリスマスといえば付き物なのがクリスマスソング。
古今東西 それこそ数え切れないくらいのクリスマスソングが存在しているだろう。
だいたい 一人のアーティストがいたら 最低一曲くらいはオリジナルのクリスマスソングがあるものだ。
そう考えると、世の中に何万曲のクリスマスソングがあるのだろうか…
想像すると気が遠くなりそうだ。

個人的には ベタなところではあるがジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」が好きである。
反戦への静かなメッセージが込められた名曲である。
さりげなく語りかけるようなジョンの歌声に重なる子供達のコーラス…
自分レベルの全く英語が出来ない人間でも ある程度わかるくらいの簡単な歌詞に込められた平和への祈り…
そして 音楽で世界を変えることが出来るかもしれないと信じることが出来たあの時代…。
人間も世界も そう簡単には変わらない…世界中いろいろな地域で 争いや紛争が絶えないという現実…
ジョン・レノンが夢見た世界は未だ夢物語のままである。
もしジョンが今 生きていたら、果たして彼は 何を歌うのだろうか…? 
それを聴くことも もはや叶わない夢である。

マーキー・クリスマスリース.jpg

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2017年11月29日

ブログ企画【繋】第63回テーマ「節目 」〜その2〜

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さて、今月1日に 書きかけのままでブログをUPしてから かなり間が開いてしまった。
月が変わってしまう前に 残りを書いておかねば…。
前回は、大学に入った後 現在のお店でバイトを始めるところまでを書き留めたので その続きから…。

7《学校を卒業したその秋に結婚…》

さて、めでたくライブハウスでバイトを始めることとなったのだが…
まあ 何と言うか、いろいろと勉強、経験になった。
例えば、それまでは何となく ある程度 演奏がレベルアップしてゆくにつれ徐々にお客も増えてゆき、階段を登って行くようにプロへの道が開けて来るものなのかな…と思っていた。
ところが いざ現場に入ってみれば、演奏はとても上手いのに お客さんが全く来ない人の何と多いことか。
反対に 何でこのレベルでこんなにお客がいっぱい来るんだろう…と不思議に思うような日も多々あった。
今ならば、お客さんを呼べるということは やはり何がしかの魅力があるわけで、それは決して技術的な側面だけで測れるものではないとわかるのだが、当時はなかなか理解出来なかったものだ。
また、音楽をやってゆくうえでのシビアな金銭事情なども目の当たりにすることとなる。
自分はもともと プロのミュージシャンになりたいなどとは全く考えてもなかったのだが、実際に生でリアルな現実を目にすると、プロになる人というのは やはり何か自分とは違う特別な人なのだ…という思いを強くした。
何だろう…? 技術だけでは計れない、人を惹きつける人間としての魅力…そういったものを持った人でなければ どんなに演奏が上手くてもプロにはなれないんだな…と、
そんな事を何となく感じたりしていた。

さて、少し「節目」というテーマから 話が横道にそれてしまったかもしれない…。
とにかく当時の私は 父を亡くし重石が取れてしまった反動で、当初 大学に入った頃の目標であった 教職を取って 美術の先生になる…という話もすっかり忘れてしまい、授業にもろくに出ずに フォークソング倶楽部とバイトにばかり精を出すといった毎日であった。
そんな日々を過ごした後に 私は無事に大学を卒業、
そして印刷関連の製版会社に就職。その年の秋に学生時代から付き合っていた二つ年上の彼女と結婚する。
まだ就職したばかりの先も見えない状態で結婚など早すぎるのでは…との周囲の心配は当然あったが、当時の私は“愛があれば大丈夫!”と信じていた。
残念ながら 10年の時を経た後、二人は別れる事となるのだが…
私は この若き日の決断を、今でも決して後悔はしていない。

8《いろいろあって10年後に離婚、ヤケクソおこして社長にたてついた結果 リストラを喰らう…》

先にも触れたが、結婚10年目にして私は離婚を経験することとなる。
理由は様々なものがあるのだが、ここでそれを語ったところで 読んでいる人には面白くも何とも無いだろうから 省略させてもらう。
ただ 当時働いていた会社の過酷な労働環境によるすれ違いが大きな一因であったのは確かであった。
何しろ 朝7時に家を出て帰宅は午前1時、月の残業は150時間を超え、週に2回は泊まり、休日出勤も度々というメチャクチャな状態であった。
私は当時 現場のリーダーをやっていたので、かなり酷い状態でありながらも働くしかなかった。5年前に家を買ったこともあり、家庭の為、ローンの為と、いろいろ会社に不満があっても我慢して働いていた。
しかし、結果として家庭は崩壊。こうなったのも そもそも劣悪な労働環境を改善しない会社のせいだ…と開き直った私は、次第に会社…特に社長に対して何かと反抗的になって行った。
そんな中 ある日 どうにも我慢できないことがあり 社長を捕まえて
「あんたがそんなだから、誰も社員が付いて来ないんだよ!」
…と、皆の前で啖呵を切ってしまった。
それから数日後、社長室に呼び出され クビを宣告される。
もともと会社に嫌気がさしていた事もあり、その日のうちに荷物をまとめて辞めてしまった。
35歳を目前に控えた春の事であった。


9《行き場がなくなり 現在のお店に舞い戻る…》

その頃 私がやっていた仕事は、印刷関連の製版という工程の中の‘レタッチ’という職種であった。
説明が難しいのだが、かなり細かい神経を必要とする専門職で
私が大学を出て就職した頃は これを身につけておけば一生ものと言われ、腕のいい職人は結構よい給料をもらえる仕事であった。
しかし、私がリストラを喰らった1990年代末頃は この製版の世界もデジタル化が進み、それまでのルーペを覗きながら0.1ミリ単位の手作業を要求されるというアナログな仕事から ネットを使ったデータのやり取りとパソコン等を使っての作業中心へと大きく変化してゆく頃だった。
まだ手作業のアナログなレタッチでの求人もそれなりにあったのだが、
将来的な視点で考えれば 先の無い職種であった。
仮にレタッチで再就職したとしても、5年後には確実にリストラされてしまうだろう…
あと何よりも、連日 納期に追われて まともに家にも帰れないような仕事は もうやりたくなかった。
10年間、家庭の為、会社の為と 自分のやりたいことを犠牲にして働いて来た結果が 家庭崩壊とリストラであった。
これからの人生は もう自分の為だけに生きよう…そう思った。
私はいくつかの会社の面接を受けてみた。
主に接客関連の職種であったが、アルバイト程度の経験しかない畑違いの35歳の男を雇ってくれる会社など 何処にもなかった。
こうなったら いくつかバイトを掛け持ちして生きるしか無い。
一人分の生活費くらいはギリギリ稼げるだろう。
それでも 一つくらいは楽しい仕事がいいな。
そういえば、昔 ライブハウスでバイトしてた時は楽しかったな。
週に一日でもいいから また働けないかな…
そんなわけで 久しぶりに懐かしい江古田のライブハウスを訪ねた。
「すいません、今 バイト募集してませんか〜?」

実は当時 この江古田のライブハウスは 結構ヤバイ状況にあった。
中心になっていたバイトリーダーが辞めてしまい、経験の浅い自覚の無いバイトスタッフばかりになってしまい、音響面 接客面 共にかなり酷い状態が続いている状況であった。
「いいところに来てくれたね〜、実は今 現場を任せられる人を探していたところなんだよ。」
社長にも歓迎され、私は10年ぶりに めでたくライブハウスの仕事に復帰することとなった。

10《その後、江古田駅前で夜中に唄っていたところを現在の奥さんに拾われる…》

そして ライブハウスの仕事に復帰してからというもの、
それはもう一言では言えないくらいに実にいろいろな事があった。
今回のテーマとずれるので省略させてもらうが、
学生時代にバイトしていた頃とは比較にならないレベルで、様々な事を経験し考えさせられた。
バイトに復帰する頃とほぼ同じくして 自身のライブ活動も再開したのだが、何しろ10年間 全く音楽とは無縁な生活をしていた為、久しぶりの復活ライブは相当に悲惨なものであった。
技術的なものも随分と衰えていたのだが、何よりも久しぶりに人前で歌を唄うという状況に メチャクチャに緊張してしまった。
足も手も震え、声も思うように出ない…
10年ぶりのステージは、まるで初心者のように悲惨でボロボロな演奏になってしまった。
久しぶりのステージに向けて、結構自分なりに練習もしていたのだ。
それなのに この有様…、駄目だ!もっと人前で歌うことに慣れなくては…。
私はとりあえず、ステージ度胸をつけるために路上ライブをやってみることにした。
最初はまず、新宿歌舞伎町に行ってみた。惨敗であった…。
歌舞伎町は俺には合わねぇ…。
早々に見切りを付けた私は、次に池袋の地下道に行って唄ってみた…。
ここで ようやく感触を掴み、その後 約一年間 毎週火曜日の深夜の路上ライブを続けてみた。
そして2000年代となり アコギバブルが起きる。
1990年代末期から、斉藤和義・山崎まさよし…あたりの台頭で地味ながら復権の兆しがあったアコースティック音楽に ‘ゆず’の出現が一気に火をつけた。
地道な路上ライブを続けた後の‘ゆず’のサクセスストーリーは、それまで日陰者であったアコースティックミュージックを一気にメジャーなものに押し上げてしまった。
何だか 路上で歌っていれば、ひょっとして‘ゆず’みたいに自分もプロのミュージシャンになれるかもしれない…
街には そんな夢を描いた アコギ少年達が溢れ、新宿・渋谷・池袋など深夜の駅前では 連日 大勢のストリートミュージシャン達が 夢を追いかけて歌い叫ぶ…そんな姿が日常の光景となっていった。
私の私見だが、‘ゆず’の出現前までは、アコギで路上ライブをやるものなど数えるほどしか居なかった。私は毎週火曜日、深夜午前0時から朝の5時くらいまで、池袋の地下道を独占して ひとり気兼ねなく唄っていたのだが、アコギバブル以降、地下道には 連日5〜6人のアコギ少年達が溢れ、互いに蹴散らし合うかのように叫び唄う状況となってしまった。
堪り兼ねて地上に上がり駅前で唄える場所を探してみれば、ここも2m置きに唄い叫ぶ若者達が10数人…
無理だ!とても唄える環境じゃ無い…。

途方にくれていた私は ある日 地元 江古田駅南口の駅前で唄っている2人組の若者と出逢う。
話を聞いてみると、彼らも数ヶ月くらい前から始めたとのことで、
今まで特に 警察からも何も注意されたことは無いと言う。
新宿や渋谷 池袋といった大きな繁華街ならともかく、
こんな すぐ近くに民家もあるような小さな駅で路上ライブなど出来ないだろうと、始めから 江古田は視野に入れていなかった。
しかし改めて見てみると、南口は商店街も広く民家からは比較的離れており、終電が過ぎるまではそれなりに人通りもある。
これは案外いけるかも…
私は彼らがやっている週末を避けて、毎週木曜日の夜 午後10時〜午前1時の路上ライブを始めることにした。

当時はアコギバブルの真っ只中ということもあり、うちのお店も忙しく連日休みも殆ど無い状況。
それでも毎週毎週木曜日の夜、雨の日も風の日も雪の日も…休むことなく江古田駅前路上ライブを続けていった。
そんな慌ただしい日々の中で本当に様々な出来事があり、たくさんの人達との出逢いがあったのだが、それはまたいつか 時間をかけてゆっくり書いてみたいと思う。
とりあえず本題に戻るが、今から10年ちょっと前のある夜、
いつものように木曜日の夜、私は江古田駅前で唄っていた。
ちょうどNSPの「さようなら」を歌い終えたところだった。
一人の女性が私に話しかけてきた。
「何で こんなところでNSPなんか唄ってんですか〜?」
…これが私と 今の奥さんとの出逢いである。
そこから先の詳しい話は省略させてもらうが、
この出逢いをキッカケに 様々な意味で私の人生は大きく変わった。
世の中、路上ライブをやっている人間は山のようにいると思うが、
NSPを唄っていて奥さんに拾われた人間は私くらいなものだろう。
後日 NSPの中村さんとお仕事をした際に この話をしたところ たいへん喜ばれ、その日のステージトークでの話題にしてくださった。
非常にありがたいお話である。

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…さてさて、2回に渡り長々と語ってしまった。
何だか殆ど ちょっとした自分史のようになってしまったが、
それにしてもまた、私の人生 随分いろいろと節目があったものだ…。
結局は何だかんだ あれこれいろいろあって現在に至るわけである。

そういえば昔 大学に入りたての若い頃、手相研究会の人に一度だけ手相を見てもらった事がある。
「けっこう波瀾万丈な人生を送りそうですが、意思が強い方なので何とか乗り越えてゆけるでしょう。」
…そんなふうに言われた事を ふと思い出した。

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2017年11月01日

ブログ企画【繋】第63回テーマ「節目」

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毎度の事だが、 今日から11月、
本当に早いもので、気が付けば今年も残りあと2ヶ月である…。

毎月1日恒例のブログ企画【繋】
今月のテーマは 本日11/1が誕生日、“鈴木んぐ”さんからのお題で
「節目」とのことである。

〜私事ですが、今回記事の11/1、私の誕生日でありまして、
また、今年はほかにも私にとって特別に意味のある節目の年でございまして、、
人生において、幼き日より、年老いるまで、きっとこの先もずっと、
「節目」というのが誰しもあるんちゃうかな?って思うわけでして。
あぁ、あの日が、俺にとってのターニングポイントだったなぁー(シミジミ)とか、
あの人に、あの言葉に出会ってなかったら
今頃あたしゃ路頭に迷っていたよ(←ちびまる子ちゃん風に)みたいな、、
色々考えましたが、今回のお題を「節目」とします。
させてください。〜

…以上、鈴木んぐさんからのお言葉である。
(何はともあれ、お誕生日おめでとうございます。)

さて、思い返せば 私の約53年の人生の中においても
いくつかの節目は確かに存在するわけで、
以下、思いつくものをざっと書いてみるとする。
何だか ちょっとした自分語りになってしまうが、御容赦いただきたい。

1《高校1年生の夏、始めてギターを手にする…》

当初は軽い気持ちだった。
そもそもの動機は、ギターの弾き語りができた方がカッコイイ…という至極不純なものであった。
まさかその後 自分の人生において、唄うという事が 大きな意味を持つことになろうとは、当時は夢にも思っていなかった。

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2《高校2年生になる時に 父の仕事の都合で広島から東京に引っ越し、
東京の高校に転校する…》

高校1年生の冬に父は東京に転勤となる。
私は選択肢として、広島に残り 大学に通っている兄と2人で部屋を借り現在の高校に通うか、編入試験を受けて東京の高校に行くか、どちらかを選ぶこととなった。
当時 漫画家を目指していた自分は、やはり東京に行った方が漫画家を目指すには何かと便利だと思い 東京行きを選択、編入試験を受けて東京の高校に転校することとなった。
広島にいた頃の自分は まあまあ友達も多く、
漫画など描いていたこともあり それなりに楽しく学校生活を送っていた。
しかし、中途半端な時期に見知らぬ東京に出て来た田舎者の私は、
転入した高校で人生初めてのイジメというものに遭遇する。
まあ今から思えば 単に面白がってからかわれていた程度のものだったのだが、それまで経験が無かった事もあり萎縮した私は一気に暗い性格になり誰とも話せなくなってしまった。
この状態は高校3年の秋近くまで続く。

3《高校3年の文化祭、立川市民会館での発表会に友人と組んでいたフォークグループで参加…》

そんな状態でありながら、当時の私は美術部と漫画研究会とギター倶楽部の三つを掛け持ち、さらにはオタクな友人たちと「特撮連合」なる研究会を立ち上げるなど、暗いながらに結構あれこれやっていた。
そして高校3年秋の文化祭、陰気な私に付き合ってくれる友人たちと3人組のフォークグループで立川市民会館での発表会に出演。
〈サイモン&ガーファンクル〉や〈かぐや姫〉のカバー3曲に私のオリジナル2曲を演奏。
約20分のステージであったが、これは予想外に好評で結構な拍手喝采であった。
実はこの日は、以前に私をイジメていたツッパリ不良連中達もバンドを組んで参加していたのだが、控え室に戻った私たちに、かつて私をイジメていた奴の一人が
「やるじゃん!」と声をかけてきたのだ。
これは全く予期せぬことであり たいへん驚いた…と同時にとても嬉しかった。
いろいろ肌の合わないところはあっても、音楽でなら 彼らとも対等な立場に立てて 何か分かり合えるかもしれない…
そんな思いがして自信にもなった。
それは その後の私の人生にとって、とてもとても大きな出来事であったと思う。

4《日本大学芸術学部美術学科に入学、フォークソング倶楽部に入部…生涯の師匠 小池真司と出逢う》

日芸に入学した私は さっそくフォークソング倶楽部に入部する。
当時の日芸フォークソング倶楽部は今から見てもかなりハイレベルで、後にプロのミュージシャンになった人が結構何人もいたりした。
そんな中でも、一年先輩の小池真司と出逢った事は、後の私の人生に大きな衝撃と影響を及ぼした。
自分でいうのも何だが、私は音楽的には結構器用な方で、中学生の頃からオリジナル曲を作り、大学入学時点で既に100曲くらいのオリジナルを持っていた。
ギターも比較的 短期間で弾き語りが出来る様になり歌もそれなりに唄え、あまり唄うということについて深く考えたことは無かった。
(今から思えば 随分と自惚れていたものだと恥ずかしくなる。)
しかし 小池真司の唄を聴いた私は、強烈な衝撃を受け 完全に打ちのめされてしまった。
何というか、魂を削って唄う、己の醜さ 弱さ 狡さなど負の側面を曝け出し血を吐くように叫び唄う。
とにかく言葉では上手く伝えられないのだが、私は打ちのめされた。
そして それまで自分の作って来た歌が とても恥ずかしくなった。
みんな嘘っぱちだ…、何となく〈さだまさし〉何となく〈ふきのとう〉何となく〈オフコース〉等々…、
全部よく出来た模造品でしかない。
どれひとつ、自分のリアルな本音や感情が入っていないじゃないか…。
まして自分の歌声の何と空虚で魂の希薄なことよ…。
私はそれまで書き溜めて来たオリジナル曲を全て封印することにした。
とにかくリアルな感情を歌わなければ、借り物じゃない自分の言葉で唄わなければ…。
自分も小池真司になりたい、あんな風に魂が震えるような歌を唄いたい…。
それまでは抒情派フォーク路線で 経験もしてないラブソングを想像で書き得意になって唄っていた私は、一気にマイナーコード絶叫フォークシンガーへと変貌していった。
何のことは無い…今にして思えば 結局は小池真司の真似をしていただけだったのだが…。
とにかく当時の私は、小池さんとの出逢いをキッカケに《真実の歌を唄う》という事を考え始めた。
ちなみに その小池さんは現在もバリバリに現役で活動中である。
昔以上に物凄い表現者として、アングラフォーク界隈ではそれなりの存在であるのだが、そのスタイルが現在のメジャー音楽シーンとは全く相入れないため、残念ながら ずっとインディーズのままである。〜

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5《大学1年の9月に父を脳梗塞で亡くす》

〜突然 何の前触れもなく、父は仕事先で倒れ帰らぬ人となった。
当時の私はかなり遅めのプチ反抗期を迎えた頃で、父親とあまり仲良く話もしていなかった。
それまで世田谷の千歳烏山の社宅で父母と私の3人で暮らしていたのだが、父の死後は社宅を出て母と2人で椎名町のマンションを借りて住むこととなった。
父はかなり厳格な人で、いい加減な事や不真面目な事は許さない質で、私も父の手前、かなり生真面目に生きて来ていた。
しかし 突然 重石となっていた父を亡くしたことで、
その後の私は徐々に緩んで行ってしまったのである。〜

6《翌年9月から、現在のお店でアルバイトを始める…》

〜キッカケは《ガロ》であった。
高校2年の冬の頃、突然《ガロ》にハマってしまった。
(フォークグループの方で漫画雑誌の方では無い 念の為)
一般的には「学生街の喫茶店」一曲の一発屋のようなイメージが強いが、実はとてつもなくカッコいいアコースティックサウンドと 抜群のコーラスワークを持った物凄いグループなのである。
残念ながら当時は既に解散していてレコードも廃盤となっていた為、あちこち中古レコード屋を探し回っては一生懸命に集めたものだ。
そんなガロが私が浪人中の1983年7月に再結成(3人のメンバーのうち2人だけでの再結成)して ライブをやるとの情報を〈ぴあ〉〜懐かしい〜で発見!
場所は江古田のライブハウス…。
江古田…?どこ…?とりあえず行くしか無い!
それが私と この江古田のライブハウスとの出会いであった。
それまでに数回、〈ふきのとう〉などのコンサートをホールで観た事はあったが、私にとっては人生初のライブハウス体験であった。
第一印象は、何か薄暗い…狭い…。
しかし、間近な距離で憧れのアーティストの生演奏が観れる…
そのリアルな感じは素晴らしかった。
その時はただお客の一人として行っただけだったので それっきりだったのだが、その翌年、いろいろ美術大学を受験するも日芸しか受からず、結果 私は江古田に4年間 通うこととなる。
最初の一年間は千歳烏山から通っていたので学校が終わるとすぐ帰宅していたのだが、二年生になった春から学校近くの椎名町に転居したこともあり、アルバイトを探していたところで お店にバイト募集の張り紙を発見!
そして私はこの江古田のライブハウスで めでたくバイトをすることとなったのだ。
そして、ここでの様々な経験と出逢いが、後の私の人生を大きく変える事となる。

その辺りを更に詳しく語ってゆきたいところなのだが…
残念ながらそろそろブログアップの締め切り時間となってしまった。

以下、
7《学校を卒業したその秋に結婚…》
8《いろいろあって10年後に離婚、ヤケクソおこして社長にたてついた結果 リストラを喰らう…》
9《行き場がなくなり 現在のお店に舞い戻る…》
10《その後、江古田駅前で夜中に唄っていたところを現在の奥さんに拾われる…》

等々…続きを予定しているのだが、このペースで書いてゆくととんでもない長文になってしまう。
時間も無くなったので、たいへん申し訳ないが 続きは後日 第二弾として発表するということで、今回は筆を置かせていただきたい。
(筆を置く…というのも随分と古風な言い回しだ…実際はパソコンで書いているのだが…。)

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