2020年10月13日

勝手にブログ企画【繋】第92回テーマ「マスク」

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いろいろあって2019年11月をもって 退会してしまったブログ企画【繋】だが、諸々思うところもあり 裏会員として勝手に継続して書かせてもらっている。
何かと忙しく更新が途絶えてしまっているが、遅れながらも少しずつ書いて行こうかと思っている。

さて、第 92回(4月)のテーマは モリミカさんからのお題で
「マスク」とのことである。

〜4月のお題ですが、「マスク」でお願いします。
ここまで、マスクが注目をあびることはなかったでしょう。
一般のマスクでもいいし、プロレスラーのマスクでもいいし、ツタンカーメンの黄金のマスクでも…
皆さまの感性での発信を、よろしくお願いいたします。〜

以上、お題主からのお言葉である。

さてさて 「マスク」ですか…
この度のコロナ騒動で、その存在価値が大きく変わってしまったもの…。
私自身のブログ更新が遅れているので、お題が提示された4月頃とは また状況がかなり違っている。
とにかく この春はマスクが全く手に入らなかった。
政府主導の「アベノマスク」に関する問題など…いろいろあったが
それらに関しては ネットをはじめ 様々な議論が交わされた後なので 今更あれこれ語っても たいして面白くないだろう。
…という訳で、今回のお題「マスク」を 全く違う側面から綴ってみたいと思う。

「マスク」という言葉を そのまま直訳すれば、「仮面」となるのだが…
ここはお題を拡大解釈して、「マスク (仮面) 」を被る(変身する)ヒーローという者について考察してみようと思う。

さてさて、「マスク」や「仮面」と言われて、私と同世代の人達は何を思い浮かべるだろう…?
〈月光仮面〉〈七色仮面〉〈江戸川乱歩の黄金仮面〉〈鉄仮面〉〈仮面の忍者 赤影〉〈タイガーマスク〉〈遊星仮面〉〈白獅子仮面〉〈仮面ライダー〉〈シルバー仮面〉〈サンダーマスク〉〈ガラスの仮面〉〈ザ・デストロイヤー〉〈ミル・マスカラス〉〈変態仮面〉〈美少女仮面ポワトリン〉あるいは少年隊の「仮面舞踏会」etc…
まあ、とにかくいろいろあるのだが…
やはり 思い浮かぶのは幾多のスーパーヒーロー達である。
しかし、ここで ひとつの疑問が浮かんでくる。
そもそもなぜ、ヒーローというものは仮面を被り素顔を隠すのだろう…?

基本的に 殆どのヒーローは、その素顔を仮面で隠し 己の正体がわからないようにしている。
中には〈スーパーマン〉のように、素顔をバンバンに晒しているのに 誰もその正体に気付いてくれない…という可哀想なヒーローもいるが…
まあ 殆どのヒーローは、あえて素顔を隠し 自分の正体がわからないようにしている。
その理由に関しては それぞれ様々な事情があるだろうが、
基本的にスーパーヒーローというものは、変身前はただの一般人で めっちゃ弱い…と云うケースが殆どである。
仮面を被る(変身する) 事により 常人より優れた能力を発揮は出来るが
普段の姿は 滅茶滅茶弱い弱者である…。
これは 例えば 仮面とは言い難い〈ウルトラマン〉などに代表される巨大ヒーローに関しても同様である。

しかし、同じような変身ヒーローの世界でも、先にあげたような〈本来 弱い自分が仮面をかぶることにより強くなる〉…とは真逆の、
〈本来は強い自分が あえて仮面を被り 日常は普通の人(弱者)として過ごしている〉…というケースも多く見られる。
例えば〈スーパーマン〉や〈ウルトラセブン〉〈ウルトラマンレオ〉〈タイガーマスク 〉等々…
こちらのケースの場合は、本来は強い力を持つ者が 敢えて弱者を装う訳であり、同じ〈仮面を被る〉という行為に於いても意味合いが全く違ってくる。
例えば時代劇での 〈水戸黄門〉や〈遠山の金さん〉にしても同様で、
あえて正体を隠し弱者を装い、ここぞという時に正体を明かし騒動を解決する。
立場の違いはあれ、こういった《どんでん返し的カタルシス》が 後のヒーロー番組に受け継がれていった…と考えるのは、あながち間違ってはいないだろう。
元々が宇宙人の〈スーパーマン〉〈ウルトラセブン〉〈ウルトラマンレオ〉〈サンダーマスク〉等と、本来は権力者の側である〈水戸黄門〉〈遠山の金さん〉は、仮面を被るという意味合いにおいて同じ立場にあると言って良い。

逆に、〈本来は弱者である者が仮面を被ることにより強くなるケース〉に当てはまるのは…
〈仮面ライダー〉に代表される、本来は人間である者が、変身する事により強くなるヒーロー達や
〈ウルトラマン〉〈ウルトラマンA〉〈ウルトラマンタロウ〉などの 元々は人間である個人に宇宙人が憑依したケース、
…このような場合とでは 同じ〈仮面を被る〉という行為でも 意味合いが全く異なってしまうのだ。

まあ、別にどうでも良い話をあえて難しく考察してる訳だ…
いずれにせよ、 仮面を被る(変身する)という行為は、日常とは違った、
より開放された自分…より強く優れた自分…を妄想させるものであった…。
変身前の自分は何の力も無く弱い存在だが、
変身してしまえば 誰もかなわない強い存在になれる…。

例えば 今流行っている《異世界転生モノ》も含めて、
70数年前の戦後間もない頃から今に至るまで
人は《現実とは違う特別な自分》を求め憧れていた…という事ではないだろうか?
要するに 「ここではないどこか」である。
今 この世界で生きている自分は本当の自分ではない…
本当の自分は もっと能力があり、いざという時には力を発揮できる…。
こういった願望が《仮面を被ったヒーロー》という姿に転換され 日々の鬱憤を晴らしていた…と考えるのは些か大袈裟だろうか?
〈仮面を被る〉という行為は 〈本来の自分の姿を隠す〉もしくは〈本来の自分とは違った存在になる〉という真逆の意味合いのどちらかである。

人は誰もが 日常生活において、ある意味〈仮面を被って過ごしている〉と言えるかもしれない。
〈本当の自分〉の醜さ 愚かさ 嫌らしさ…それは とても人前に晒せるものではない。
(私など正にそのタイプの人間で、人前では 本来の姿を隠して善人を装おって生きている…それゆえ私は 自分の事が〈偽善者〉に思えてならないのだ。)
しかし、〈本当の自分〉をありのままに 裏表なく晒しながら生きている人が 果たしてこの世にどれだけいるだろうか?
詰まる所、人は皆〈仮面を被って生きている〉のだ。
本音と建前の使い分け…空気を読むという行為…
生きて行く上で 知らず識らずのうちに、誰もが〈仮面を被る〉事を身につけて行く。
それは 仕方のない事であり、それが出来ないと 生きて行く事が出来ない。
例えば 物心がつく前の幼少の頃なら、そんな風に〈空気を読んで仮面を被る〉事も無かった筈なのだが…
果たして人は いつから〈仮面〉を被る事を覚えるのだろう…?
親子の関係、友達との関係、会社等の社会生活での関係、恋人・夫婦の関係…
様々な関係性において、人は皆 自覚しないままに〈仮面を被る〉事を身に付ける。
ゆえに〈仮面〉は どこか淋しい…
なぜなら〈仮面を被る〉という事は、本来の〈自然な姿〉である自分を 隠す行為であるからだ。
〈スーパーヒーロー〉の背中はどこか淋しい…本当の自分の姿を隠して日常を過ごしているからだ。
そのようにして育ってきたのが 今の私であり あなたである。
私も含め多くの人達が そうやって生きている。
その仮面が外れた時…果たして人は 生きて行けるのだろうか?
〈私は仮面を被って生きていない〉と言い切れる人が どれくらい居るだろうか?
かく言う私も、正直 仮面を外して生きて行ける自信は全く無い…。

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さてさて、ブログ企画【繋】は 毎月1日に、
参加メンバー全員が共通のテーマでブログを書くという企画です。
私はもう正式メンバーでは無くなったのですが、
正式メンバーのブログのリンクを貼らせていただきます。
他の皆さんのブログも どうぞ御覧になってみてください。

ブログ企画【繋】参加メンバーのブログ

「内田祥文のKeep Hope Alive♪」
http://ameblo.jp/uchida-shobun/

peixe grande take
https://ameblo.jp/peixe-grande

津軽三味線山中信人の朝刊・夕刊〜
http://ameblo.jp/nobu483/

鈴木NG秀典(すずきんぐ)「鈴木NG秀典ーだー。のブログ」
http://ameblo.jp/suzuking-ramen/

モリミカのブログ
http://ameblo.jp/mmika0716/

こいぬまめぐみブログ
https://note.mu/koinuma_megumi

原秀爾さんのブログ
https://ameblo.jp/springrolls

posted by ありのぶやすし at 23:11| Comment(0) | ブログ企画「繋」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする