
いろいろあって2019年11月をもって 退会してしまったブログ企画【繋】だが、諸々思うところもあり 裏会員として勝手に継続して書かせてもらっている。
このところ何かと忙しく 更新が途絶えてしまっているが、遅れながらも少しずつ書いて行こうかと思っている。
さて、第91回 (3月)のテーマは 鈴木ングさんからのお題で
「一周回ったなぁ〜」とのことである。
〜僕は、この企画に途中から参加させてもらって、それまでの歴史や、発案者の思いなど、あまり知らずにここまで来ましたが、よく考えてみれば、これも「一周」。
始まって、続いて、続けて、、終わる。
1時間とか一週間とか1年間とか、彼と出会ってから、、とか、人生とか、この企画の始まりから終わりもそうです。
色んなことはきっとリングになっていて役割を終えると一旦終わるんだけど、、どっかでなんかのカタチで繋がってて、また始まる。
それは違うカタチかもしれないけど、、とにかく「一周」。
最終回までまだ何回かあるので、このタイミングにそんなにセンチメンタルになる必要もないかもしれませんが、立ち止まって思いを馳せるでもいいですし、
いつも通り、全く違うものと捉えていただいて、何かしらの「一周」について思うこと考えることなどをお聞かせいまだけたら楽しそうだなぁと思い、このテーマを発案させていただきます。宜しくお願い致します。〜
以上、お題主からのお言葉である。
なかなかに難しいお題である…どこから話を進めていいのか テーマが絞れないままに時間だけが過ぎてしまった。
そもそも「一周回って…」とは 本来どういう意味を表す言葉なのか…?
いまひとつ自信がなかったので、例によって調べてみた。
「一周回って…である。」
昔はハマっていたが 最近では触れていなかったことに再度取り組み、改めてそこに価値を見出すこと。〈一度廃れたが 今になってみると良い〉〈古いものでも良いものは良い〉といったニュアンスも含む。(各種web辞書より抜粋)
いろいろ調べてみたところでは だいたいこんな感じである。
まあ要するに、昔は好きだったが しばらく離れていたものの魅力を再発見する…
といったものだろうか。
さて、何か自分に当てはまるものがあるだろうか…と 振り返り考えてみたのだが、
どうもいまひとつピンと来ない。
捉えどころが掴めないままに、筆が進まず5ヶ月もたってしまった。
このままズルズルと先延ばししていても仕方ないので、
無理矢理に落とし所をこじ付けて話を進めることにする。
私の音楽スタイルについてであるが…
元来 私は 〈さだまさし〉〈ふきのとう〉〈かぐや姫〉〈風〉〈とんぼちゃん〉〈ガロ〉〈オフコース〉等々…
いわゆる《叙情派フォーク》《アコースティック・コーラス》といった音楽に強く影響を受けて歌い始めた人間であった。
中学2年生くらいから フォークソングに目覚め、見よう見まねで弾き語りを始め、
高校生の頃には これまた見よう見まねのオリジナルソングなどを作り始めて、人前で披露したりするようになった。
その頃に作っていたオリジナルは 殆んどが 経験した事もない恋愛を妄想で描いたラブソングばかりだったが、
まあ 案外と器用な方なので、見よう見まねでも其れなりに形になってはいた。
今から見れば あまりに稚拙で小っ恥ずかしいシロモノが殆んどであったが、
当時の私は得意になって それらの楽曲を皆の前で披露していたものだった。
そんな私の鼻っ柱を打ち砕く出来事が、進学した日芸フォークソング倶楽部で待っていた。
私の生涯の師匠《小池真司》との出会いである。
これまでにも何度かブログの中で触れてきたが、この《小池真司》という人との出会いが無ければ、私の人生は全く違うものになっていたであろう。
とにかく この《小池真司》という人は、歌を唄うという事に 普通では考えられないほどの真剣さで向き合い、本当の意味で《魂を削って唄う》という行為を実践している人なのである。
当時の私の〈何となく雰囲気で歌ってます…〉という姿勢とは真逆の、《生半可な気持ちで向き合ってはいけない音楽》を目の前に突き付けられ、私は完膚なきまでに打ちのめされた。
それまで 自分が作り歌ってきたオリジナルなど 真似事にすぎない…
本当のオリジナルソングとは、自分の内面から溢れ出る魂の叫びを唄うことだ…。
そんな訳で急激に小池真司に感化された私は、それまで作ってきたオリジナルソングを全て封印し、《マイナーコード絶叫型》のメッセージフォーク路線にいきなり方向転換してしまったのである。
まあ、それとて今にして思えば 小池真司の真似事に過ぎなかったのかもしれないが…
自分なりに精一杯 真実の言葉を模索しながら歌い続けた大学生活…、
ライブハウス《江古田マーキー》でのバイトも始めて、音楽にドップリ浸かった4年間であった。
しかし その後の私は、大学卒業⇨就職⇨結婚…という変化の中で、歌を唄うという行為から10年間も離れてしまった。
そして10年後に 離婚&リストラ…という大きな人生の転機を突き付けられた私は
何もかも無くして一人ぼっちになってしまったのだが…
その時の自分が まず一番やりたかった事は とにかく歌を唄う事だった。
10年間も全く唄ってなかったのだから、技術的な低下は驚くほどであったが…
それでも、離婚&リストラという苦い経験を経た私は、心から溢れ出る言葉を幾つもの歌に昇華させた。
そして その頃に作られた歌たちは、大学生活の頃 小池真司に影響されて作っていた《マイナーコード絶叫型》というスタイルではなく、初めてオリジナルソングを作り始めた頃の《叙情派フォークソング》に近いものが殆んどであった。
なぜだろう…?とにかく当時の私は 怒りや不満を唄うよりも、もっとやさしい歌を唄いたかったのだ。
自分自身がそうであったように、聴いてくれる人の気持ちが安らぐような歌…
そんな歌を 誰よりも自分が求めていたのかもしれない。
まあ要するに、《一周回って》私の歌は原点回帰したという訳である。
途中 小池真司をはじめ様々な音楽を吸収し、辛い人生経験も反映された結果、若かりし頃の真似事のような嘘っぽいオリジナルと比べ、自分で言うのもなんだが より深みのある歌がこの時期に 幾つも生まれたと思う。
そんな感じで再び歌い始めてから 早いもので20年を超える時が過ぎてしまった。
そして今、改めてその当時の自分を 冷静に振り返る事も出来るようになったと思う。
昔 小池さんに衝撃を受け マイナーコードで絶叫していた自分は、とかく背伸びをして 自分を大きく見せようとしていた…
何とかして 人の心をえぐるような歌を唄いたかった…傷跡を残したかった。
そんな想いで やたら過激な言葉を選び、聴いた人の心に爪痕を残す事こそが歌う意味だと勘違いして、ただ闇雲に突っ走っていたのだった。
そして10年の時を経て再び唄い始めた私は、ある意味《等身大》というスタイルになっていたのだと思う。
様々な出来事を経験した事により私が得たものは、《自分に正直な歌》を唄う…という事であった。
周囲からこんな風に見られたい…凄い!と言わせたい…
そんな事はどうでも良い…
心の奥から湧き出る素直な言葉を 自分の好きなメロディーで唄う…
それこそが真実のオリジナルソングであり、他人がどう受け取り評価しようが関係ない…
20年前 再び唄い始めた私は ようやく《本当の意味で歌を唄う》ことの意味がわかったのである。
長い紆余曲折を経て、自分が本来 もっとも自然でいられるスタイルに戻ってきた…
私の音楽人生は《一周回って》原点回帰したのであった。
無理をしない…自分に正直である…背伸びをしない…
そんな想いで再び唄い始めてから20年を超える時が過ぎてしまったが…
その間に生まれた沢山の歌たちの幾つかは、私だけの真実のオリジナルソングだと言い切れる自信がある。
そんな歌をこれからも もっともっと増やしていけたらと思う 今日この頃である。

さてさて、ブログ企画【繋】は 毎月1日に、
参加メンバー全員が共通のテーマでブログを書くという企画です。
私はもう正式メンバーでは無くなったのですが、
正式メンバーのブログのリンクを貼らせていただきます。
他の皆さんのブログも どうぞ御覧になってみてください。
ブログ企画【繋】参加メンバーのブログ
「内田祥文のKeep Hope Alive♪」
http://ameblo.jp/uchida-shobun/peixe grande take
https://ameblo.jp/peixe-grande津軽三味線山中信人の朝刊・夕刊〜
http://ameblo.jp/nobu483/鈴木NG秀典(すずきんぐ)「鈴木NG秀典ーだー。のブログ」
http://ameblo.jp/suzuking-ramen/モリミカのブログ
http://ameblo.jp/mmika0716/こいぬまめぐみブログ
https://note.mu/koinuma_megumi原秀爾さんのブログ
https://ameblo.jp/springrolls