
さて、毎月始めのブログ企画【繋】
今月のお題は私が決めさせていただいた。
題して「想い出のテレビ番組」
皆さん それぞれに何かしら心に深く残る
想い出のテレビ番組やテレビドラマがあるだろう。
私自身が 一度じっくり書いてみたいテーマではあったが、
他のメンバーの皆さんが いったいどんなことを書いてくれるのか
今回は非常に楽しみにしている。
前置きはさておき、言い出しっぺの私が取り上げさせていただくのは
あの伝説の「8時だョ!全員集合」である。
私と同世代の人ならば、まず知らない人はいないだろう。
1969年10月4日から1985年9月28日にかけて、
TBS系列で毎週土曜 夜8時に放送されていた
ザ・ドリフターズ主演の長寿コント番組である。
その放送回数は全803回に渡り
最高視聴率50.5%、最盛期の平均視聴率は40%近くに及び、
1971年4月から9月までの半年間の番組休止を除き
基本的には ほぼ毎週1時間の生放送で舞台公演を中継するという、
現在ではおよそ実現不可能、考えられない怪物番組であった。
私は1964年生まれなので、正にリアルタイムで視ていた世代である。
ちなみに1969年〜1971年3月までの放送は視ていた記憶がないが、
一般に第二期と言われる 再開後の1971年10月からの放送以降は
家族そろって夕食後の視聴が定番となり
当時小学生だった私は、毎週末の放送を楽しみにしていたものである。
その頃 番組を視ていた人なら ある程度は覚えているだろうが、
番組全体の構成としては、
「8時だョ!全員集合」の掛け声に続くオープニング、
前半約20分弱の大掛かりなセットを使った芝居形式のコント、
ゲスト歌手による生歌を挟んだ後
聖歌隊を模した音楽コント、
再びゲスト歌手による生歌を挟んで
後半は いくつかの短めの寸劇や 体操 ダンス等でのショートコント、
そしてエンディングという流れが基本であった。
特筆すべきは、アドリブ無しのキチンと練られた脚本のある
舞台形式の1時間にも及ぶコントを生放送で
毎週毎週 しかも多くの地方公演を含めて
16年近くにも渡って殆ど休むことなくやり続けたということだろう。
その労力を想像しただけで気が遠くなる。
これに比べると、昨今テレビで放送されている
芸人主体のトークとアドリブ中心のお笑い番組など比較にもならない…
根本的にレベルが違うとしか言いようが無い。
さて、ここでザ・ドリフターズの歴史を調べてみると
その歴史は何と1956年(昭和31年)まで遡るから驚きだ。
結成当初は純然たる音楽バンドで主にロカビリーを演奏していた。
初期はメンバーの変動が激しく20人近くの人達が出入りしている。
(この時期には 何とあの坂本九も 一時的ではあるが 正式メンバーとして在籍していたという)
ちなみにこの頃はまだ、現在のよく知られたドリフのメンバーは誰も加入していない。
いかりや長介と加藤茶が正式メンバーとして参加するのは1962年からだ。
その後バンドは徐々にコミック的要素を主体とした方向性へと移行し、
コミック路線に反発したメンバーとの分裂劇の末、1964年末頃から
いかりや長介をリーダーとした5人組(いかりや長介、高木ブー、荒井注、仲本工事、加藤茶)として再出発する。
再出発当初はなかなか人気も定着しなかったが、
その後テレビ等での露出も増え徐々に人気も上がってゆく。
(あの有名なビートルズの武道館公演の前座を務めたのもこの頃である)
そしていよいよ「全員集合」の放送開始へと至るのであるが、
この1969年当時の土曜夜8時台は、
フジテレビでのコント55号司会の番組が圧倒的な人気を保っていた。
視聴率的に苦戦をしいられていたTBSとしては
何とかして挽回したいという必死の思いであったらしい。
スピード感に溢れ且つアドリブ的なギャグの面白さにおいて
天才的なセンスを誇るコント55号の芸に対抗するためには
逆に 時間をかけて綿密に練られた脚本と演出で対抗するしか無いと
「全員集合」はアドリブ無しのキチンと構成された舞台形式の
コントを主体としたバラエティ番組としてスタートする事になる。
この大掛かりな生放送形式の番組は開始当初から人気を呼び、
翌1970年末には最高視聴率45.7%という驚異的な数字を記録。
その後、1974年の荒井の脱退から志村けんの加入を経て
安定かつ圧倒的な人気番組へと成長を遂げるのである。
それにしても これだけの番組を実現させたドリフターズのメンバーと
番組制作スタッフの労力は 本当に想像を絶するものがある。
当時は何かと言うと、子供達に悪影響を与える俗悪番組として
PTA等から名指しでやり玉にあげられていたが、
今から見ればそんなに問題になるほど過激なものだったとも思えない。
むしろ昨今多く見られる 格上のお笑い芸人が若手芸人に対し
イジメに近いようなイジリで笑いを取る番組の方がよほど劣悪である。
これはもう 笑いの質的な違いとも言えるが、
ドリフの笑いには そんなイジメ的な要素は殆どなかったと言って良い。
思うに ドリフの笑いは、基本 強者(権力者)に対し
弱者(庶民)が反発 抵抗することを題材としたコントであり、
いかりや演ずる権力者(教師、上司、母親、監督、隊長etc…)に対し
他のメンバー達の演ずる庶民(生徒、平社員、子供、選手、部下etc…)が
イタズラや悪ふざけで反発し引っ掻き回す…
そういった騒動から生まれる面白さを描きながらも
どこかほのぼのとした安心感を感じさせるものであった。
対して最近のお笑いは、格上の芸人(強者)からのムチャぶりに
格下の芸人(弱者)が無理矢理に従わされる状況での
悲壮感漂うイジリから笑いを取るスタイルが多く見られる。
私はどうにもこのタイプの笑いが苦手で、
どこかイジメを連想させ、嫌悪感すら覚える。
いったい いつ頃から このような笑いが主流となってしまったのだろう?
だいたい1980年代前半頃からのビートたけし、とんねるず、
そしてダウンタウンに至る系譜の中で定着してきたと思うのだが、
象徴的なのは、1983年頃から視聴率において
裏番組の「オレたちひょうきん族」に逆転されたことが
事実上「全員集合」の番組終了に繋がっていったことである。
さすがに放送開始から15年近くにもなり、
マンネリ感やネタの行き詰まりからドリフの人気に陰りが見られた頃…
視聴者はビートたけしの過激なギャグに急速に惹かれていった。
ある意味、時代がそういった笑いを求めていった結果とも考えられる。
いかりや長介自身も限界を感じていた事もあり、
1985年9月いっぱいをもって「全員集合」は16年に渡る歴史に終止符を打つことになった。
考えてみれば かくいう私も、高校生になった1980年あたりから
「全員集合」を殆ど視なくなっていたことに気付く。
別に「ひょうきん族」へ鞍替えしたりする事はなかったのだが…
理由はよく思い出せないが、やはり何となく
面白く無くなったと感じていたような気がする。
今にしてみれば、最後まで見続けていれば良かったと思うのだが
後の祭りである。最終回ですら視た記憶が無い。
そして2004年3月に、リーダーのいかりや長介が死去した事により、
もはや あの5人でのドリフターズを目にすることも不可能となってしまった。
残された4人も高齢という事もあり、現在ドリフターズとしての活動は殆ど無いに等しい。
唯一 志村けんが未だ現役として、コント番組を続けているのが救いである。
最近になって、当時の番組を記録した膨大な録画の中から
厳選されたいくつかの映像がDVDで発売されたりもしている。
そこに記録された 全盛期のドリフの面白さに あらためて感動を覚えたりもするのだが、
あの幼い日々、ワクワクした気持ちで土曜夜8時を待っていた…
あの頃の感情はもう二度と味わえないと思うと やはり淋しくもある。
さて、本当はまだまだ書いておきたいことが沢山あるのだが、
日付も変わってしまい 締め切りも過ぎてしまった。
とりあえず 今回はこの辺で終わりにしたいと思う。
またいつか、気が向いたら続きを書いてみるとしよう。

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