
前回書きかけのまま終わってしまったブログ…
続きを早く書かなければと思いながら
忙しさに追われ放置しているうちに
気が付けばもう月末である。
早くしなければ、続きを書く前に
来月の新しいお題を書くことになってしまう。
まるで締め切りに追われる漫画家のような気分だが、
改めて 前回の続きを語りたいと思う。
さて、前回ブログの冒頭で取り上げた話題
「ありのぶさんにとって 音楽は趣味では無いですよね…」
これを問いかけてきた人は、
「真剣に音楽に取り組んでいる…だから趣味と言っては失礼だ。」
というニュアンスで話していたのだが、
対する私の答えは というと
「まあ、趣味と言われれば趣味でも良いし、
違うと言えば違う気もするし…よくわからないです。」
こんな感じで、何とも曖昧なものであった。
なぜ答えに困るかと言えば、実際のところ
私の音楽は 金銭的に全く利益を産んでいないからであり、
前回話したように「趣味」の対義語を「仕事」と捉えるならば
何の利益も生み出さない作業を「仕事」と呼んで良いものか
どうにも疑問を感じてしまうからである。
では「趣味」ですか…と言われれば
それはそれで やはり違和感を感じてしまう。
おそらく「趣味」という言葉の持つ「片手間感」
この辺りに何となく抵抗があるのだろう。
好きでやっていることで楽しくもあり、
ある意味 「道楽」でもあり、
何の利益も生みはしないが、時には苦しみ
時には絶望に苛まれ、血を吐くような思いで唄い、
音楽にしがみつき 救われながら生きてきたのも事実なのだ。
まあ、最近は以前に比べ
多少は肩の力も抜けて来たように思うのだが、
昔は妙に肩肘張って、底の浅い音楽論など真剣に考えていたものだ。
今にしてみれば、別にどうでも良いようなことに
意地を張り ムキになって語っていたりもした。
思い出すと穴があったら入りたい気分になる。
音楽に限らず、自分が好きなことを仕事にできる人は少ない。
何よりも「才能」そして「努力」
さらに「運」という物が大きく作用するのだ。
たとえ どんなに良質な芸術であれ、
時代の価値観や要求と合わなければ見向きもされない。
よく言われる話だが、あの有名な画家のゴッホでさえ、
彼の生きている間に売れた絵は たったの一枚であった。
その感情を叩きつけたような独特の荒々しいタッチは
当時の画壇から なかなか評価を得られず、
また 彼自身の精神的な不安定さによる奇行も手伝って
周囲からの孤立感、疎外感は相当に根深いものがあったらしい。
彼は 後々の自分の名声、評価など全く知ることもなく
不遇なままに その生涯を終えたのである。
しかしながら もし彼が 生活のために
その画風を要求されるままに変えていったとしたら…
おそらくゴッホの名が美術史の中に残る事は無かったはずだ。
そのような器用な生き方は出来なかったのだろう。
ゴッホにとって絵を描くという行為は
生きることそのものだったのだと思う…。
彼のような壮絶な生き方に 魅力を感じ憧れもするが
私のような甘ったるい人間には到底無理なようである。
とまれ、話しが横道にそれてしまったので 振り出しに戻る。
私にとって音楽とは何か…?
「趣味」と言われるなら「趣味」で良い。
でも これは 自分にとって「一生かけた趣味」である。
おそらく「仕事」としての音楽は この先も出来ないだろうが、
生涯に渡り 誠実に音楽と向き合って生きてゆけるよう願いを込めて
私はこれを「ライフワーク」と答えたいと思う。
さて、明日からはもう5月…
新しいお題で 急いでブログを書かなければならない。
ほんとに締め切りに追われる漫画家の気分である…。